風の声を聞き、土の匂いを嗅ぐ

 将来は早めにリタイアして、自給自足プラスアルファの農作業をしながら、慎ましく暮らすというライフプランを聞いたことがある。もう少し前は、脱サラして蕎麦屋になるという方向もあった。発想は近いものがあるが、自給自足の農業ライフの方が自由度が高くて難易度も高いような気がする。

 駅からのアクセスが悪く不便な立地にある蕎麦屋には、脱サラ独立系の店が多い。良い立地だと家賃が高いのか、自分の家を改装して蕎麦屋にしたのか、いずれかだろう。そんな蕎麦屋が意外と美味かったりする。安易発想で出店しているような印象があるのだが、ちゃんと味で勝負しているのだ。

 我が家の近所にも、そんな脱サラ独立系と思しき蕎麦屋があった。近所と言っても歩いて行ける場所ではなく、クルマじゃなきゃ行けない隣町の住宅地だ。店構えも普通の一軒家で、古民家をリノベーションした感じではなく、よくある分譲住宅のリビングを飲食スペースとして利用しているのだ。

 そんな他人の家感丸出しの店構えだが、ここが僕の蕎麦好き発祥の店となった。うどん派であり、ラーメンばっかり食べる貧乏舌の僕が、やっと蕎麦を美味いと感じられた。といってもシンプルなせいろではなく、鴨汁つけそばという濃い味系だ。それでも蕎麦自体の風味というか美味さを感じた。

 これに対して冒頭のリタイア自給自足ライフの件だ。別に相対関係にあるものではないが、スローライフを標榜する人々が地方の空き家でミニマム生活を送るというのは、脱サラ後の新たな道の別バージョンと言えそうだ。蕎麦屋は職業という感じがするが、自給自足スローライフは生き方である。

 こちらも、格安の家賃で移住者を受け入れる限界集落のことを、安易にペラッとした情報で判断してしまいそうだ。実際にそこで生きるとなると、容易ならざる覚悟だとか、そのコミュニティとの折衝能力が必要になると思う。そして、何でも自分でやるのも大変だ。今のところ僕にその気はない。

大好きな鴨汁せいろ大盛り。これは東日本橋のお店で脱サラ感はない。美味い。