恐怖の味噌汁のように

 予測変換にイラつくことがよくある。特に長めのカタカナの文字を変換する際に、そのままカタカナ変換してくれればいいのに、余計な気を利かせて意味のある言葉に変えるのだ。例えば「スイサイダルテンデンシーズ」と打ち込むと「水彩だラテンダンサーズ」と返してくる。完全にナメている。

 このバグった予測変換への感情は同族嫌悪に近い。僕が学生時代にダジャレにハマっていた頃(そんな時代があったんですよ)、すべての言葉をダジャレで返そうと試みていた。1日百個のノルマを課して、それを頭の中でカウントしていた。たまにウケるかなと思って披露してみるが、ウケない。

 そのダジャレの変換システムが、冒頭の予測変換に近しいと感じてしまう。僕の場合は耳で聞いた言葉にフィルタをかけて、ちょっと違った意味に聞こえる瞬間を探すのだ。いわゆる聞き間違いではあるが、それを我から積極的に、しかもなるべく面白いフレーズに聞こえるようにブレさせるのだ。

 さらに遡って小学生の頃、仲間うちで「悪の十字架」という話が広まった。当時の僕は怖い話が嫌いだったので、あまり聞きたくなかったのだが、仲間は許してくれない。いやいや聞くと、それは「開くの10時か」というダジャレのオチだった。その時の緊張と緩和が原体験として忘れられない。

 学生時代に癖になってしまったので、最近でも僕は人の話に薄いフィルタをかけてしまっているかもしれない。聞き間違いは積極的にするし、それで呆れられたりもする。若い頃に覚えたことは忘れないというが、こんな癖は別になくなってもいい。ただ、無くしたくないと思っているフシもある。

 中年の話で厄介なのは下ネタと武勇伝とダジャレだと思われるが、この中で最も平和なのがダジャレだと思う。下ネタでもソフトなものならウケは良いが、経験談として武勇伝的に語られると気持ち悪くなる。そういう意味では、僕が若い頃にインストールしたダジャレ化機能は有能かもしれない。

大好物のマカロニグラタンを聞き間違える事なく提供してくれた。

メタモルフォーゼ・サマー

 朝、PCの電源を入れると仕事が始まってしまう。メールをチェックしたり、やりかけの仕事に手をつけたりしている間に10時くらいになっている。そこで「あ、走らなきゃ」と思ってしまうのだ。ジョギングを日課にできずに数年過ぎているが、夏だけは走れる。学生時代の部活の呪いだろう。

 この時期の10時は人間が外で活動できる気温ではない。活動するならそれなりの装備を必要とする。工事現場の人を見ても分かるように、ファン付きのベストを着用するなどの暑さ対策を講じているのだ。そんな過酷な環境下にTシャツ短パンで走り出す。当然シンドいが、冬よりはマシである。

 冒頭で部活の呪いと記したが、それはある種の成功体験とも言える。部活には夏合宿がつきもので、特にスポーツの名門校なんかだと「地獄の夏合宿」なんて言われていたりする。その地獄を耐えきれずに新入生の半分が脱落するが、そこを通過したものは確実に強くなるという通過儀礼でもある。

 僕は、高校まではゆるい部活ライフを過ごしていた。夏合宿はそれなりにシンドかったと記憶しているが、地獄と呼ぶほどではない。地獄でない分、通過儀礼としての効能も薄い。必然あまり成長できずに、秋の大会で大化けするということもなかった。実力なりのところで敗退することになった。

 だから高校卒業時点での僕は呪われていない。僕が呪われたのは大学の部活からである。大学の合宿は基本的には練習試合をするためにある。その段階ではあまり明確な作戦は決まっておらず、とにかく試合のプレーでアピールすることでレギュラーを目指すのだ。今にして思えば……ではあるが。

 ゆるい高校から大学の部活に入ったので、1年目は文字通り地獄だった。そんな合宿を4年間過ごすことで、明確にレベルアップしていった。最初のうちは単純なスタミナ向上で、技術的なことは4年間でやっと、という感じではあった。でも、やっぱり合宿で鍛えられたという実感は強烈にある。

ジョギングコース脇の川はミシシッピアカミミガメに占拠された。

桶に水はりラムネを冷やす

 暑い日にはビールをグビっと飲んで、その日の疲れを労うものだ。年柄年中ビール党の僕だけれど、やはり夏場に飲むのは格別なのだ。若い頃は苦いだけの厄介なアルコール飲料だった印象があったと思うが、その感覚が消えて久しいので、苦味に関する当時の感覚は都市伝説のように実感がない。

 それでも残っている感覚として、真夏の部活がキツかったことは鮮明に覚えている。灼熱のグラウンドで反復練習しながら、頭の中では練習後に飲む飲み物を想像して正気を保っているのだ。学生時代に求める水分は、もちろんビールではない。なるべく清涼感を感じられる飲み物を想像していた。

 よくイメージしたのは、氷で満たされた大きな容器に炭酸飲料のビンが冷やされている様子だった。そこにスイカが置かれていることもある。これは想像にすぎない。実際にスイカを冷やして食べたのなんて、休日返上で部活に没頭する前の幼児体験に近い。そして、今ではスイカも好きじゃない。

 僕が学生時代の頃は、もはや「練習中に水飲むな」の世界ではない。小学生くらいだと、その感覚は濃厚に残っていた。もしかしたら高校の体育なんかでは、その感覚で指導するようなオールドスタイルの輩が残っていたかもしれない。そういう化石野郎が大嫌いだったのであまり覚えていないが。

 とにかく夏の暑さが尋常じゃなくなり始めた初期だと思うので、暑さによる部活禍(部活での行き過ぎた指導による事故)が増えたような記憶が薄らとある。それで、ちゃんと水分補給が推奨されたのだ。その過渡期だったと思うので、ちょっと早く生まれてたら根性論で死んでいたかもしれない。

 適度な水分補給は大事だが、暑さを我慢した後には歯止めが効かない時がある。よく飲みすぎてお腹を壊したものだ。水道水を蛇口から直飲みして、その喉越しの虜になって止まらなくなり後悔することが多々あった。練習中の想像で、あんなに飲みたいと思っていた炭酸飲料を見るのも嫌になる。

暑いと蕎麦くらいしか入らないと聞くが、全然トンカツが食べたい。

含蓄うんちく人畜無害

 酒場や日常会話などで話題に困ると、むかし覚えた豆知識を教えることで知的人間アピールしてしまうことがある。何度も、しかも同じネタで行なわれるアピールなので、つまりそれは失敗しているのである。でも、成功体験がないからこそ諦めきれず、何度も同じ豆知識をコスるのかもしれない。

 僕がよく言う豆知識は「涙堂(るいどう)」と「舌苔(ぜったい)」だ。涙堂はいわゆる涙袋のことで、舌苔は舌の苔、つまり舌の表面を白くしている物質のことだ。これらは意識して覚えたわけではなく、週刊マンガのはみ出し情報(紙面の欄外に小さい字で記されている小ネタ)で知ったのだ。

 僕が週刊マンガ誌を読んでいたのは小・中学生の頃だ。子供の頃に覚えたことは忘れないと聞くが、それにしてもよく覚えていたものだ。何故なら、この言葉を他人から聞いたことがないからだ。あまりにも他人が使わないと、そんな言葉はないんじゃないかと不安になる。だから一応調べてみた。

 ネットで検索したらすぐ出てくるので、言葉自体は存在するらしい。ただ、そんなに一般的に用いられる言葉ではないし、特に舌苔なんてわざわざ言うことはない。涙堂に関しては、涙袋の方が言葉の分かりやすさという点で圧倒的だったのだろう。字面で見れば涙堂のほうが美しいと思うのだが。

 ひとつ思い出した言葉で「風袋(ふうたい)」がある。ものの重さを測るときに、容器の重さを引く際に「風袋」というボタンがある。分量を測って調理などをする人は知っているのだろうが、僕は食品会社の開発室で初めて見て知った言葉だった。それ以降は使ったことも見たこともない言葉だ。

 このブログのどこかで、過去にも涙堂や舌苔のことを記している可能性は高い。ここに記すときに、過去に同じ話題を取り上げていないかなんて調べもしないからだ。なんとなく思い出したのに話す相手がいなかったから、ここに記しただけだ。こうすることで忘れないよう復習しているのだろう。

ビャンビャン麺という漢字を覚えた時は、各所で自慢げに書いた。

道具を捨ててバカンスへ

 先週の中頃、唐突にPCが壊れた。僕が愛用しているマックブックが起動しなくなってしまったのだ。朝起きて電源を入れたはずが、いつまで経っても画面が暗いままだ。本来ならパスワード入力画面に切り変わるのだが、何ら起動音がしないままスンとしている。まるで死んでしまったみたいだ。

 その後、正気を取り戻すためにジョギングに出た。帰ってきて何事もなかったように起動することを祈ったが、果たして虚しい祈りとなった。スマホで起動しない場合の対処法をいろいろ調べて、いくつか試したが反応はなし。そこで諦めがついたので、近所のアップルサポート店に予約を入れた。

 PCが壊れると僕は仕事にならない。だからダメージがあるのだが、逆に言うと、PCの故障は絶好の長期休暇ともなる。仕事にならないから休むだけなのだが、発注元への口実としては完璧なのだ。どうしても急ぐ場合は、その発注元の事務所に出向いてやればいい。そう考えれば気楽な仕事だ。

 ただ、そんな役得を無条件で喜んでいる場合ではない。この強制休日は今年に入って二度目のことだ。春先にもPCを修理に出し、その際に1週間ほど事実上の営業停止状態になったばかりだ。今回のトラブルはその修理に起因しているのか不明だが、保証期間内だったので無料で修理してくれた。

 前回の修理と同じサポート店に持って行って、半ばクレーマー然とした調子で不具合について申し立てた。対応に出てくれた店員さんに高圧的な態度で「修理したばかりなんだけど」と詰め寄る感じの悪い中年の姿がそこにあった。それでも最後まで丁寧に対応してくれて、今では恥入るばかりだ。

 PCを修理に出した瞬間、体が浮き立つような気分を味わった。仕事から解き放たれた爽快感である。何ヶ所かに「しばらく仕事にならない」旨を連絡し、晴れて自由の身となった。サポート店は巨大ショッピングモールの一角にあるので、いろいろ見た挙句、派手なビーチサンダルを買っていた。

大好きなタンメンに見え隠れするビール。自由人間の象徴である。

愚痴を垂れ流すだけの肉塊

 ひとつの職場に3年といられなかった僕は、これまでに何度か転職を繰り返してきた。職務経歴書に記載すると、その関連性のなさに採用担当が二の足を踏むことだろう。でも、嘘をつくと無理が生じるので、ありのまんまに書いて不採用通知をたびたび受け取っていた。それが30代前半のこと。

 出版関連の末端の職場にギリギリ滑り込んだのが20年近く前だろう。そこで末端の雑兵仕事をやっているうちに、会社自体の経営が怪しくなってきたので退社した。末端仕事で多少は身についたDTPの初歩の技術で当面を食い繋ぎつつ、転職に向けて細々と活動していたのが10年ちょっと前。

 その細々とした活動が現在に至る。フリーランスと言い張ってはいるが、この状況は不安定極まりない。転職もままならない年齢になり、いよいよ路頭に迷い始めている。これまでの経験や極薄の人脈から未来を探してはみるが、そこに未来がないから逃げ出した世界に戻ったら無意味ではないか。

 現実を見るなら、この年齢の人間を雇う職場は限りなく少ない。ずっと登録したままの無料転職サイトからのオファーを見る限り、タクシー運転手や点検営業などの職種は常にメールが来ている。特に今後は運送系の需要が高まるらしいが、僕の資質ではそこに良好な未来像を描くことができない。

 最近さっぱりメンタルが冴えないのは、この辺の不安材料を消化できないからだ。年始に決まる予定だった新しい職場が、土壇場になって「なかったことに」となってしまった。そこからずっと乗れないでいる。新しいことに踏み出す年にする気でいたものだから、気持ちだけは逸ってしまうのだ。

 この逸る気持ちには、やはり冒頭の「3年と続かない」という気質があるだろう。同業種の中で業務内容は異なるが、それでも近いところで20年近く仕事を続けている。飽き飽きしている部分はあるのだ。飽きたから辞めるというのは、会社に所属していないとできないのだ。今はそれがしたい。

野球選手になる夢はないが、球場で働くのは楽しそうな気がする。

熱々餃子、大発汗不可避

 食べることが好きなので、食事の機会を邪魔されると不愉快になる。予定を立てる時も、途中で食べる店を事前に探している時が何より楽しい。その予定が反故になってしまうと、ガッカリしてしまう。自分で作ることはないので外食が多い。その店選びには検索サイトと己の勘をフル稼働させる。

 飲食店をチョイスする際は、個人店を優先的に選んでいる。でも、ずっと個人店ばかり攻めているので、最近のチェーン店事情がわからないところもある。チェーン店の中に好きな店はあるし、松屋の「牛焼肉定食」は長いこと僕の胃袋を支えてくれたが、懐かしさでたまに食べるとガッカリする。

 外食で多いのはラーメン屋だが、美味いと評判の店は混んでいる。特にこちらの腹が空いてる時間帯には行列ができてしまう。僕は「絶対に行列には並ばないぞ」と鉄の意志を持っているわけじゃないが、時間を無駄にするのが嫌いなのであまり並ばない。その結果、並ばない程度の人気店に行く。

 昨日は昼から飲みに出かけたのだが、酒場に行く前に腹ごしらえをしようとチェーンの中華食堂に行った。県内にはよくある店だが、そこに行ったことがなかったので小さな期待があった。改めてチェーン店を見直す機会になればいいなと、生意気だが市場調査の感覚でランチの時間帯に入店した。

 入ってまず拍子抜けしたのは、注文がタッチパネルだったことだ。中華屋では口頭で注文したいと思うのは古い人間なのだろう。自分の古さを実感しつつ、ビールとタンメンと餃子とライスを滞りなく頼んだ。餃子をつまみつつビールを飲むというのは、昼飲みの理想のように語られることが多い。

 僕はあまり餃子とビールの組み合わせにスペシャルなものを感じていない。それは、中華屋の餃子は絶対に最後に来ることを知っているからだ。この時も、ビールをジョッキ3分の1程度飲んだところでタンメンとライスが、さらに数分後に餃子が登場し、ビールとのマリアージュは不成立だった。

ビールとラーメンは合わないので、タンメンの野菜をアテに飲む。