世界にひとつのパブリック

 酒場に行く時はなるべく機嫌良くしていたいと思っている。それを意識していないと不機嫌になるわけではないが、もとから社交性に乏しい人間なので、オフィシャルな場に出る時は構えてしまう。体格が大きめな方なので、変に目立ってしまう。それが他人の目を気にすることに繋がってもいる。

 酒場に通うようになったのは、知った顔が増えたからだ。仲間ができれば、彼らとは楽しく過ごせる。僕が持つ社交性の低さが目立たないで済む。社交性が低いことがバレないように生きているつもりはないが、いい歳して人見知りというのは努力不足のような気がする。そんな努力は要らないが。

 酒場で積極的に話すのは、仲の良い顔見知りの人間とばかりだ。初見の人と話すことは滅多にない。常連ぶって上段に構えているわけではなく、初対面の人と気さくに話せないのだ。そのことに対して、何ら引け目を感じてはいないと思う。ただ、圧迫感を与えないような仕草だけは心がけている。

 先日来の腰痛が多少軽くなったので、酒場に出向いてみた。飲み始めてすぐに、腰痛がぶり返してきた。椅子に座っている姿勢が腰の負担になるらしい。特に酒場の腰高な椅子は、どんなに姿勢を変えてもポジションが決まらない。次第に足も痺れてきた。まだまだ完治までは遠い道のりのようだ。

 ただでさえ社交性がなくて不機嫌に見えるのに、腰痛で表情が冴えない僕はさらにネガティブな存在だっただろう。でも、家で鬱々としているとさらに悪化しそうだったので、なんとしても酒場で憂さ晴らしをしたかった。結果的に腰痛が悪化することはなく、良くもならず、少しだけ気が晴れた。

 帰りのバスに乗るまでの道のりは、腰に気を使ってゆっくりな歩速ながらも軽やかだった。やはり酒場は良い。いろんな趣味に手を出さずに酒場で散財してしまうのは、どんな趣味を楽しんでも酒場の方が楽しいと思うからだ。世界を広げた方が話題豊富になるのだろうが、定点観測も十分楽しい。

とりあえずトリアージ

 腰の痛みに取り憑かれて、ほとんどの時間を腰の角度補正に要している。疲れる。痛みの程度は段々おさまってはいるが、気にしないで動作できるレベルではない。立つと痛いし、腰を前傾させるとビクッとなる。安定感がない。それでも当初よりは可動域が広がったので、数日前よりは楽である。

 楽になると動きたくなるので、思い切って近所のラーメン屋に行ってみた。自転車か歩きかでしばし迷ったが、衝撃の大小を考慮して歩きにした。自転車で段差を越える時のガタンに耐えられそうにないからだ。いざ歩いてみると、あまり大丈夫そうではない。やはり、腰を庇いながらで不自然だ。

 ラーメン屋までの道中は、健康体ならば5分ちょっとだろう。のんびり歩いて10分かからない程度の距離だ。腰痛の人間がリハビリ的に歩くと15分。それでも汗ばむ。厚着だったのかな。冬から春に至る季節の変わり目は、他の季節の移ろいに比べて圧倒的に難しい。服装の判断という意味で。

 たぶん気温の問題ではなく、単純に歩くのがシンドいのだ。姿勢をキープできれば問題ないのだが、ちょっとした体位変換で刺激が走る。心が折れそうになる。でも、ゴールには美味いラーメンが待っている。そこを目標にすれば歩ける。目標は大事だ。何かを目指せば、そこまでは挫けないのだ。

 普段はガラガラの店内には、珍しく先客が4組みもいた。4人掛けテーブルひとつと5人座れるカウンターがその店のレイアウトだ。満卓で9人である。ところが、ソーシャルディスタンスの世界では5人掛けのカウンターはひとつ空けて座るので3人までしか座れず、テーブルには夫婦で満席だ。

 まあ僕としても余裕を持って座りたいので、それで満席になるのは助かる。でも、店のキャパとしてはツラそうだとも思う。この程度の客数で外に待たせていたら食べずに帰る客もいるだろうし、全然儲からないのではないかとも思う。祝日の午後の日差しを浴びながら、そんなことを考えていた。

腰の爆弾抱えて走れ

 数日前から、たまに発症する腰痛に襲われている。持病というほど付き合いは古くないが、慌てふためくほどの驚きもない。前に何度か味わった不都合だなと思い、まったく面倒なことだと諦めるだけだ。病院に行って痛み止めを打ってもらっても良いが、なんとなく薬には嫌悪感がある旧人類だ。

 昨年末の新型コロナ発症時にも思ったが、最近の僕は発熱に弱い。高熱で寝ていると高確率で悪夢を見る。その原因が、もしかしたら解熱剤にあるのではないかと睨んでいる。そんな話を知り合いに洩らしたら、そういう薬との相性はあるかもしれないと言われた。薬と悪夢の相関関係は不明だが。

 そんな懸念から病院に二の足を踏んでいる。いや、実際には痛くて歩きたくないのだが、いつまでも腰痛で歩けないのはちと困る。今週末に先輩とラグビーを観に行くのだ。今年はワールドカップイヤーだし、その前にハイレベルな社会人ラグビーの試合を観ておくのは予習としても最適であろう。

 試合会場も僕には魅力的だ。行ったことがないからだ。初めての場所に行くのは楽しい。かなり不便な都内の東の端っこなのだが、不便ということは移動に時間がかかるので、それは小さな旅行だ。そんな予定が先にあるのは心を弾ませる。そのためにも、何としてもあと2日で完治させなければ!

 そういえば、このラグビーの予定を入れるキッカケになったのは昨年末に僕が母校のラグビーの試合を観に行った話を先輩にしたからだ。その試合を観ながら風邪の初期症状を感じ、翌日の夜に新型を発症した。恐らく、その試合で罹患したものと想像できる。そんないわく付きのラグビー観戦だ。

 できれば明日の朝には嘘のように腰が治っていることを願いたい。来月の頭に法事で秋田に行く予定もある。体は絶不調だが、予定は目白押しなのだ。まるで遠足の前日に発熱する残念な子供のようではないか。しかも、腰痛は完治しない。いま痛みが引いても、いずれまた痛むと思うと落ち込む。

外壁の修繕中も営業中であることをアピールするガッツ、見習いたいと思う。

酔いどれスワンソング

 先週末は久しぶりにカラオケスナックに行った。大人になったら何軒かの馴染みのスナックを持ちたいと思っていたのだが、いまだにそこには至ってない。その日は酒場の知り合いに誘われるがままに連れられたに過ぎない。歌う気はなかったが、すすめられたら絶対に歌うルールに従って歌った。

 いや、実際には歌えなくなった自分の現状を思い知った。入れた曲は「肉体関係」というライムスターとクレイジーケンバンドのコラボ曲だ。歌うというよりラップなのだが、とにかく早く言葉を発さなければいけないので忙しい。そんな曲に程よく酔った状態で挑むのは無謀なのだと知らされた。

 とにかくリズムに乗れないので、歌い始めるのが困難なのだ。これは酔いの効果だろう。そして歌詞を追う目が全然効かない。だいたいの歌詞は覚えているのだが、頭がクリアじゃない時は記憶力への自信も揺らぐ。目の前に歌詞が出ていれば、自然に追ってしまう。その目が字を追えないという。

 途中で止めてもらおうかと思ったのだが、スナックで歌うのは有料だったはずだ。知らんけど。とにかく周りの人間が頑張れというので、ブツブツと呟くようなダメカラオケを歌い切った。こういう記憶は覚えているんだよなと思いつつ、その後も苦い酒を飲み続けた。何を飲んだかは覚えてない。

 そして、やはりあのカラオケの残念な記憶は拭いがたく残っている。リベンジしたいと思う反面、馴染みじゃないスナックへの再訪は同じメンツが好ましい。あの夜のメンツは奇跡的というか、普段はあまり一緒にならない人たちだった。たぶんリベンジの機会は訪れないのだろう。でも練習しよ。

 僕はクルマの運転中に歌う。フリーになりたての頃は高速道路で移動することが多かったので、ハイウェイは僕のステージだった。その鍛錬により、それまでのレンジの狭い声よりは多少声域が広まった気がする。その後、まったく歌ってないので劣化は仕方ない。いまは現状を受け入れるだけだ。

本当は古い歌謡曲フォークソングを歌いたいのだが、空気を読んでしまう。

すべてがGにある

 僕は「ゴルゴ13」が好きだった。もちろん漫画の方だ。アニメは観ていない。実写版の映画は怖いもの見たさで興味はあるが、そちらも観てはいない。好きだったと過去形にしているのは、今は好きではないという意味ではない。単に最近は読んでないからだ。そう、ゴルゴ13は読み物なのだ。

 ちょっと前に「ゴルゴから学ぶ世界情勢」みたいなムック本が出ていたと記憶している。原作者のさいとう・たかを氏は「ゴルゴはあくまで漫画なので世界情勢なんかは単なる舞台に過ぎない」というような話をしていたのだが、実際に起こっている紛争を描いているので、多少の学びは得られる。

 僕も世界を揺るがす何某かのトピックスがあると、ゴルゴならどう解決するんだろうと考えたりしたものだ。コロナ自粛世界になった際にも、ゴルゴの動きには関心があった。そんな折に原作者のさいとう・たかを氏が亡くなってしまった。それでもゴルゴは残ったスタッフにより描き続けられる。

 さいとうプロが創り上げた分業システムにより、漫画の頭脳であるさいとう・たかを氏が不在でも漫画はできるのだ。これは、人の死の新しい解釈ではないだろうか。つまり、このシステムによりさいとう・たかをは死なないのだ。分業による集合知が、各々のさいとう・たかをを描き続けるのだ。

 この感覚は、僕の好きな森博嗣の作品群の世界観に近いと思う。ネタバレになるので、森作品を未読で興味がある方は以降は読まないでほしい。森博嗣の「すべてがFになる」に続く一連の作品に描かれ続けている真賀田四季という人物がいる。彼女の成り立ちが、まさにさいとう・たかをなのだ。

 最新の森博嗣作品(真賀田四季関連)では、作品世界は22世紀となっている。その作品の中で真賀田四季は250年は生きていることになっている。医療の進歩によって人が死なない世界という設定ではあるが、果たしてそれは肉体的に生きているのか。この点にさいとうプロとの類似性を見る。

僕は読んだ本のことをほとんど記憶に残していないので、内容は覚えていない。

選手を信じて声を枯らす

 プロ野球の開幕はまだ先だが、今年は球場での声出し応援が一部解禁されるらしい。喜ばしいことだ。あまり現地観戦するタイプではないのだが、中継で観ていても声が聞こえる方が盛り上がる。好きな選手の応援歌は歌いたくなるし、その選手が活躍すれば応援した甲斐があったと思えるものだ。

 ケーブルTVのおかげでほとんどの中継は視聴可能だが、古い契約なのでたまに観られないチャンネルがある。それを改善するために、改めて新しく契約し直した。これで僕の応援するチームの試合を見逃すことはなさそうだ。今年は良い予感がするので、今世紀初の優勝が見られるかもしれない。

 プロ野球の前にWBCがある。国代表による野球の世界大会だ。野球自体が世界全体ではマイナースポーツなので、それを世界大会と言うのは抵抗がある。それでもアメリカがメジャーリーガーを率いて参加するので、レベルの高い試合が観られそうではある。そして、日本にも勝機はあると思う。

 また、日本やアメリカ以外にも、中南米の国代表に日本のプロ野球で活躍する選手が選出されていたりする。僕の推しチームの助っ人外国人もプエルト・リコ代表に選ばれたらしい。ちなみにプエルト・リコという文節には違和感があって、プエル・トリコと言いたくなる。口語では変わらないが。

 このプエル・トリコと言いたくなる現象には明確な原因がある。それは「オスマントルコ」のせいだろう。プエル朝トリコ帝国みたいな語感がしっくりくる。何を勝手に国の呼び名を変更しているのだと叱られそうだが、プエルト・リコと聞くたびに脳内で自動的にトルコの王朝のように響くのだ。

 と、どうでも良い話はこの辺にして、実は僕としてはWBCには懸念もある。先のプエルト・リコの代表選手もそうだが、日本代表に選出された推しチームの選手が無事に大会を終えてくれることを祈っている。特に若手の内野手は、初選出に燃えて張り切りすぎてケガなどしないことを切に願う。

ある晴れた日の横浜みなとみらい界隈。推し球団を現地観戦したい願望MAX。

言葉は転がる石のように

 普段なにげなく使っている言葉でも、その出自を聞くとハッとするものがある。例えば「生き急ぐ」という表現があるが、これは古くからあったものではない。「死に急ぐ」という言葉の反語的なニュアンスで、ある歌の歌詞に登場したのが80年代の初頭。それが、そのまま浸透したと思われる。

 歌詞の中で使われた言葉だけに、その具体的な意味は作詞者にしか分からない。作詞者自身も曲のニュアンスで表現しただけかもしれないので、厳密な意味は重要ではないのだろう。それでも、僕らは意味を深読みしてしまう。死に急ぐと生き急ぐの間にある、微妙な違いを探り当てたいのである。

 死に急ぐというのは自殺願望というか、命を粗末にするような生き方を指していると思う。スポーツや冒険などに取り憑かれて、それ以上やったら壊れてしまう境地に至っても引く気のない覚悟というか、そこに魅入られてしまったクライシスジャンキー的な状態の人間なのではないかと想像する。

 これに対して生き急ぐというのは、何か違いがあるのだろうか。これに関しては出典元のイメージを借りなければ想像できない。伏せる必要もないので、その出典元は「スローなブギにしてくれ」という青春小説を元にした映画の主題歌だ。本来ならばその小説も読むべきだが、読まずに考察する。

 その曲は気だるいムードというか、投げやりな男の不貞腐れたような口調で語られる世界観を想起する。そこで言う生き急ぐは、あまり必死ではない。死に急ぐとは真逆のニュアンスで、命を粗末にしていると感じる。生き恥を晒すに似た意味合いだろうか。ただ雑に生きているように感じるのだ。

 ただ、その歌詞から分離させて言葉単体で読み解くと、死に急ぐよりも生き急ぐと記す方が情熱的な生き方が浮かび上がってくる。無軌道な青春であったり、30歳前に急逝した伝説のアーティストたちのような瞬間の輝きが思い浮かぶ。彼らは死に急いだのではなく、生き急いだのだと思いたい。

急がずに生きている僕は、なるべく多くの美味いものを食べて長生きしたい。