ミドル博士と体育氏
なんとなく気力が湧かなくて、この日記をしばらくサボっていた。中年で気力が湧かないと言うと、メンタル的な何某の疾患を疑ってしまうだろう。多かれ少なかれ、50歳目前の独身男なので不安はある。その不安が心理的に圧迫して気力を起こさせないのかもしれない。頭で考えれば、そうだ。
でも、中年だろうが少年だろうが幼児だろうが、気力が湧かないことはある。どの年代にもメンタル的な何某を疑うことはできるし、常に不安要素のひとつやふたつはある。いや、もっとある。だから、僕が中年の危機と呼ばれる状態であったとしても、いつもと変わらず過ごして問題ないだろう。
最近の落ち込む要素としては、とにかく体調がすぐれない。理由は簡単で、飲みすぎるからだ。そして、最近は酔いによる暴言がたまに見られるようになってきた。暴言に至るのは、いつも同じ理由だ。若い人が年長者に対してリスペクトが足りないと感じる時だ。まるで老害の見本のような男だ。
救いがあるとすれば、それは僕に対するリスペクトが足りないと言うよりも、第三者に対する態度への反応として出ることが多い。つまり余計なお世話なのだ。利己的ではないと思い込みたいのだが、やはりどこかで年齢による縛りに囚われている。あんなに嫌いだった上下関係を懐かしんでいる。
シラフの時はなんとでも、いくらでも反省できるのだ。自分の心理分析なんかしてみて、論理的に振り返ることもできる。でも、酔った時の本性が暴れ出している場合、それは理論では制御できない。僕の血肉となった上下関係が酔った僕の体を、頭を支配しているのだ。それは教育の成果なのだ。
体育会系教育の行き届いた僕は、酔った時だけ上下関係に厳しい人格を発動させる。でも、学生時代の関係性の中にいる時は、その人格は出てこない。それは、当時はそれが嫌だったからだ。だから、その記憶がストッパーになって上下関係に従順な側面の僕は現れない。不思議なシステムである。