ニューエイジ、ノーエイジ

 年を重ねるごとに、人付き合いの中で年齢差ほど無意味なものはない。縦軸の関係性を重視するあまり、上下関係に縛られてコミュニケーションが上手く取れないことがある。僕のような体育会出自の人間は特に、先輩に萎縮する部分がある。でも、そんな風に縛られている人間はもういないのだ。

 僕からの目線で言えば、後輩に対して先輩風を吹かせることほど恥ずかしいことはない。そこは人間力で勝負することになり、弁の立つ後輩にあえなく丸め込まれることも多々ある。それで構わない。僕から下の上下関係がすべて崩壊していたとしても、それは何ら問題ないし、素晴らしいことだ。

 むしろ僕から上の世代に対して、僕はどうなのだろう。先輩は怖いというより、普通に強いというイメージがある。もちろん、ただ僕より年上だというだけで怖いということはない。同じ部活の中で切磋琢磨した、素性の知れた先輩に限ってのことだ。僕は年上だというだけで尊敬することはない。

 やはり、先輩にも資格があるのだ。資格のない人間は、単なる年上だ。僕より老いた人間というだけのことだ。尊敬されたければ、尊敬に値する振る舞いをするが良い。学生の頃は、そこまで割り切れてはいなかった。でも、どうしても尊敬できない先輩はいた。そういう人には近づかないものだ。

 結局、体育会というものは、後輩が付くものなのだ。ヤンキー体質の延長として、強い引力のある先輩に子分がたかるのだ。その性質は体育会と寸分たりとも違わない。僕のような非ヤンキー系のピュア体育は、やはり軽くナメられるのだ。その辺は居心地の悪さを感じつつ、受け入れるしかない。

 さて、部活の世界から遠く離れた昨今、僕は先輩たちとどう付き合っているのか。仲の良い先輩とは、ほぼ友達と変わらない関係性を作れていると思う。でも、学生時代に本気で怖かった先輩は、普通に今でも怖い。体が拒絶反応を起こす。変な汗もかく。部活の洗脳は、しばらく解けそうにない。

だいぶ前に先輩に連れて行ってもらったラム肉専門店。胃袋掴みは大事だ。