兄貴と姉貴のいない世界

 僕には妹がいる。他に兄弟はいない。弟がいたら面白かったかな、と想像したことはあるが、近所には弟的な幼馴染がたくさんいた。そいつらを弟として置き換えてみると、瞬間的に劣等感が芽生えてくる。主に野球に関してだが、僕が近所でイチバン野球が下手だった。それを誰もが知っていた。

 兄貴分的なガキ大将もいたし、近所の友達のお姉ちゃんなんかは姉貴キャラな感じがあったような気がする。そのふたりから性教育を教え込まれたことがある。別に実技を伴うものではない。ただ、ひたすら言葉で説明してきた。こいつらも「ロクなもんじゃない」と思ったが、知識は役に立った。

 社会に出てからは、新しい友達ができにくいものだ。かつての友達も、会う機会が減って自然消滅的に疎遠になることが多いだろう。ただ僕の周りでは、高校以降の友達とは比較的ずっと仲良くやっている。大学の同期などは、遠方から来ているので会うことはない。でも、近所の人間とはよく会う。

 それに加えて、ラグビーのつながりや酒場などで年齢の異なる知り合いが増えた。年上の人間には多少甘え、年下の人間とは対等な目線で話すのが好きだ。僕の感性と比べると、若い人間の感性の方が圧倒的に優性だと思う。だから、刺激をもらえるように、なるべく教えを乞うように話している。

 子供の頃から、年上の人と張り合おうという気持ちが起きない。もう最初っから差があるというか、経験値が違うというか、自然に上に置いてしまうのだ。でも、彼らの多くがそうされることを望んでいないのも知っているので、その気持ちを押し殺して、なるべくフランクに接するよう心がける。

 そこで生きてくる年上との関係性が「お兄ちゃん、お姉ちゃん」として扱うことである。弟を演じるというほどではないが、それくらいの気持ちで話していれば自然な距離感が生まれてくる。僕は弟だったことはないけれど、部活での後輩歴は他の同級生同様にある。その経験がいま、生きている。

f:id:SUZICOM:20200502145328j:plain

電柱を見ると、三丁目の電柱の歌を思い出す……てな話を兄貴(仮)としたい。