場違い大王、いまだ健在

 僕は間が悪い。本当は誰とでも合わせられると思っているのに、実際に不特定多数の知らん人に紛れると面倒くさくなる。社交的な人格をでっち上げられるのは、相手と一対一の状況に限られる。複数の人間、しかも彼らが共通のグループにいる場合、異物として社交的に振る舞うことはできない。

 小さい頃から育み続けてきた被害者意識であるとか、疎外感のようなものが表面に出てきてしまう。それが僕の場合、わりと攻撃的なスタンスを取りがちなのだ。若い頃は、いや30過ぎくらいまでは、場違いな状況で内心逆ギレしてることが時々あった。それは条件反射のように染みついている。

 今でも少数派の場面で、上手く過ごせていない気がする。そこで間の悪さが発揮される。少数派の不利な状況が続くなら、その場を去ってしまえば良いのだ。でも軽い自虐の気があるのか、または克服したいという向上心があるらしく、そんな被害者意識の世界でギリギリまでもがいてしまうのだ。

 コレにはちょっとだけ過去の成功体験が起因している。ある会合で間の悪さと孤立感で腐りかけていた時に、顔見知りの人から声をかけられて命拾いしつつ、さらに仕事的に長く続く関係性に発展したことがある。まさに拾う神だ。他人に期待するのは消極的すぎるが、出会いは多少期待している。

 人間関係が閉じてしまうと、そこからの展開は知れてくる。いつもと違う感じで遊ぼうと思っても、結局同じ人間が足を引っ張る。そういう厄介ごとが重なって、次第に「ひとりで良いや」という境地に達するのだが、やはり人との繋がりは大事だ。だから、また場違いな会合に参加したいものだ。

 昨日は地元の居酒屋で小さなイベントをやっていたので顔を出した。常連の顔が見られると思ったが、ほとんど知らない人ばかりだった。知らない人たち同士は知り合いらしいので、共通のグループ対孤立中年の構図が出来上がってしまった。でも、僕の歴戦の場違いに比べれば大したことはない。

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昨日、いつもの居酒屋で行われたボドゲの会合で、お土産としてもらった品。