チューブの先に向かって

 最近は電車での移動で頭を使わなくなった。路線図が頭の中にバッチリ入っているわけではなく、スマホで検索するからだ。目的地の最寄駅を入力すれば、どんな経路で向かえば良いかは一目瞭然だ。経路がいくつかある場合は、安さと早さを優先させる。それで路線図を覚える必要がなくなった。

 現在のように交通系カードに課金して改札を通るようになってからは、ほとんど切符を買うことはない。新幹線を使う時くらいだが、その機会もコロナ禍で減った。切符を買わなくなって久しいが、すでに切符の頃の記憶も薄れかけている。そして、券売機の上の路線図を眺めることもなくなった。

 切符時代の僕は、よくソレを失くした。自分が切符を失くすタイプだってことは理解しているので、常に注意していた。財布の小銭入れに入れたり、胸ポケットに入れたり、いろいろ工夫した。ひとつの工夫で押し通せば定着したかもしれないのだが、持ち前の飽き性が同じ行動を選ばせないのだ。

 切符を失くすと、駅員に申し出て「◯◯から乗りました」と自己申告することになる。なんら証拠はないわけだが、申し出通りの区間の料金を支払うことになる。僕は正直に伝えていたのだが、よく考えればコレは2倍払っていることになる。乗った駅の券売機で払って、降りる駅でも払っている。

 僕は罰の意識があるので、こちらに過失があるときは代償を払っても仕方ないと考えてしまう。でも、切符なんていう小さな紙っきれを落とさないほうが奇跡だ。いや、言い過ぎた。ただ、僕が切符を落として改札で料金を払うたびに感じた屈辱を思うと、果たして僕だけの責任かと思ってしまう。

 はい、もちろん僕だけの責任である。だから現在のシステムには大賛成である。このくらい存在感のある板なら落とす心配がない。そんなことを言いながら、すでに一度落としている。カードケースごと落としたので、それを拾った人にとっては個人情報の宝庫だったろう。悪意がないことを祈る。

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工事中の水管橋は高架線のように見える。真夜中の不気味な無人駅のようだ。