怖いくらいでちょうどいい

 書店で本を選ぶときは、犯罪小説や刑事ものを選ぶ。犯罪のバリエーションはエスカレートするので、いろいろ読むうちに、残虐なシーンが増える。行為の描写は気持ち悪いのだが、それがないと感情移入できない。作家が犯罪者に対する憎悪を偽装するためには、読者を怒らせなければいけない。

 これから捕まえようとする対象に対して怒りを持っていれば、ページをめくるスピードは必然的にあがる。悪魔のような犯罪者を追いかけている方が、イッキ読みできるのだ。最近はそんな読書体験が続いている。同じようなパターンが続くと飽きる。だから、犯罪小説はしばらく読まないだろう。

 とは言え、僕がイチバン読んでいるのは凶悪犯罪者と対決する刑事ものだ。刑事は犯罪者を捕まえる役なので、結局は直接対決というわけにはいかない。最後はバタバタと解決する。ほとんどの刑事もののラストは覚えていない。後半は読み終わるために読んでいるので、内容は右から左へ流れる。

 映画でも同じことが言えるかもしれない。面白いのは犯罪もの、刑事ものだ。海外の刑事映画なら、バディものというジャンルがある。僕が好きなのは「リーサル・ウェポン」シリーズだ。事件のスケールは大きくなるのだが、バディ間の関係性がセコくて親しみが持てる。笑えるところが好きだ。

 でも、この手のコメディものばかり観ていると物足りなくなる。やっぱりズシッと内面にくる暗いやつが欲しくなる。シリアルキラーの残忍なシーンが続くような、背筋も凍るヘヴィで見応えある映画も好きだ。僕の世代で人気があるのは「セブン」だろう。バディものとしても秀逸な刑事映画だ。

 映画も小説もどう怖さを表現するかが大事なんだと思う。不快さと言っても良い。こちらの感情を揺さぶって、物語の世界に没入させるわけだ。僕はまんまと没入する。いま読んでいる本も不愉快な犯罪描写が続く。それでも面白いから読み続けることができる。もう後半なのでラストスパートだ。

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急いでいるときこそひと休み。駐車場の看板が指し示す矢印は分かりにくい。