掘り起こして磨く

 僕が幼い頃は、まだ近所の道が舗装されていない砂利道だった。僕の住むエリアが完全にアスファルト舗装されたのは、小学校に上がるすこし前だったかと思う。ハッキリとは覚えていない。ただ、近所の空き地にやたらと鉄骨などの資材が積まれていた記憶がある。その隙間で遊んでいたものだ。

 小学校を卒業するまでの6年間で、近所の空き地は徐々になくなっていった。それらの多くは工場となったが、建造中の敷地もまた僕らの遊び場だった。コンクリートから突き出した鉄筋に引っかかり怪我することもあったが、秘密基地というか隠れ家というか、そんな気分で遊ぶのが楽しかった。

 そのような工場を作る前に、土地を掘り起こしている期間がある。敷地に小山がいくつか作られるので、これも子供の遊び場としては魅力的なロケーションだ。その土の山で遊んでいると、土の中に「お宝」が見つかる。単なるガラスの破片なのだが、正体不明で妖しく輝くソレは宝石だと思った。

 そんなガラスの破片を集めて、菓子箱の空き缶に保管するヤツもいた。僕には収集癖が備わっていなかったので、そういうものを家に持って帰りはするのだが、いつの間にか失くしてしまう。その頃、切手集めが流行ったのだが、それも「結局カネ次第だな」と思ったらやり切れなくなって辞めた。

 まあ、何にせよ掘り起こされた空き地には宝の山が埋まっていた。集めることはなかったにしても、時折思い出したかのように発掘調査したものだ。子供の頃は常に近所の幼なじみとつるんでいたが、たまに誰も都合が合わない時などは土を掘っていた。子供の目で見れば、掘るべき地面は無限だ。

 僕は手に負えないくらい果てしない量を想像する時に、いまだに子供の頃の地面掘りを思い出すことがある。まだ聴いたことのない音楽を想像して、その埋蔵量に気が遠くなったりする時だ。諦めの境地に近いのだが、同時にワクワクする気持ちもある。初心に帰って地面でも掘ってみたいものだ。

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土を掘ってお宝探しする時の心境は、すべての石が宝のような気分だった。