さいしょのまんが

 小さな子供の頃は、上級生の子供が読んでいたマンガが大人びた物に感じられたものだ。あんな分厚い雑誌(当時は雑誌という認識はなく、単に分厚い本だと捉えていた)を読めるなんて賢いなという感覚だ。僕の周りの仲間たちも、小学校高学年になると読みはじめていた。僕は、少し出遅れた。

 子供は流行に振り回される存在だ。最先端にはいない。受け手の最先端ではあるが、それは発信側にとって都合の良い存在に過ぎない。でも、僕はその流行について行くのがやっとだった。週刊漫画を買ってないので、後から話を聞かされるのだ。でも、誰も彼もが漫画を読んでいたわけじゃない。

 僕も、当時の「週刊漫画を買う」という同調圧力というか、みんなが同じものを買うことの無駄を感じていた。公園で同じ漫画をそれぞれ読んでいる姿は、全くの無駄だ。回し読みすれば良い。でも、そういう感性を「ビンボー臭い」などと言うのが子供だ。それを聞くたびに気持ちは揺れていだ。

 子供ながらに、誰かが誰かに言う「ビンボー臭い」と言う言葉はくだらないと思っていた。僕も、そう言われて泣いたことがある。金を稼いだこともないガキが、親の金で張っている見栄なんて本当に無意味だ。そのガキが、ダイレクトにその相手の親をバカにしている感じがして気持ち悪いのだ。

 そういった子供社会の縮図であり象徴が、あの頃の週刊漫画だった。それでも興味があるので、あるとき初めての週刊漫画を手に入れた。勿体無いので隅から隅まで読んだ。欄外の雑学ネタなども漏らさずに読んだ。なぜなら、毎週買うわけじゃないからだ。その1冊を、漏らさず読み尽くすのだ。

 当時、お菓子のおまけのシールだけ取って本体のお菓子を捨てる子供がいるとか言われていた。それと同じ感覚で、同級生の中には「雑誌を買ってもアレとアレしか読まない」などと、全部読んでないアピールをする無意味な見栄がまかり通っていた。そんな見栄を身につけなくて本当に良かった。

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子供の頃はまさに、世界が黄色くて近所が広かった(@真心ブラザーズ)。