ハンカチ落としの鬼たち

 通勤で電車を使っていた頃は、僕の目の前で人が物を落とす瞬間を目撃することが頻繁にあった。不特定多数の人間がひしめき合う電車内だが、どう考えても僕が拾わなきゃいけない地点に物を落とされる。だから、仕方なく拾って手渡す。でも、落とした人は意外と気が付かずに立ち去ってゆく。

 僕は目的の駅じゃないので、その落とし物を渡せないまま見送ることになる。情けない。まるで仕事に失敗したダメな新入社員かのように棒立ちで、落とし物をそっと網棚に置く。駅員のところまで持って行ったところで、これの持ち主が現れるとは思えない。いまだに落とした自覚もないだろう。

 落とし物が多いのは冬だ。厚着になるので感覚が鈍くなるのだろう。手袋やマフラー、ニット帽などが落とされてゆく。その都度タイミングが良ければ渡せるし、ボーッとしていると持ち主を見失う。ただ、それはずっと僕の目の前にあって、拾って網棚に置くか駅員に届けるかの選択を迫られる。

 その判断に迷って手を出しかねていると、他の人間が落とし物に気が付かずに蹴飛ばして遠くに移動することがある。それはホッとする瞬間でもあり、または事なかれ主義を周りに見透かされて大いに恥いる瞬間でもある。他の乗客たちに踏みつけられた落とし物を目の端に感じて胸を痛めている。

 拾った人間に直接手渡せたとしても、必ずしも感謝されるわけではない。帽子を落とした少年を呼び止めて手渡した時は、ビクッとした後にひったくるように帽子を奪って行った。その少年も、とっさの反応を間違えただけなんだと理解はするが、あまり気分は良くない。それが最後の落とし物だ。

 時間を経て考えると、嫌な仮説を思いつく。あの帽子を落としたと思っていた少年が人違いだったとしたらどうだろう。僕がすぐに拾って手渡したと思っていた少年は別人で、その前に本当の落とし主がいたとしたら、彼の怪訝な表情にも納得がいく。僕が早い動きをした時にやりがちな勘違いだ。

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僕が毎晩酒場に落としているのは金と記憶。覚えていないことばかり増える。