自分の知らない自分

 酔っているときの記憶が曖昧なことはよくあることだ。特にここ数年は覚えていないことが多い。楽しい瞬間のことは忘れたくないと思うが、似たようなことが何度もあるから判別しきれないのかもしれない。こんなことを繰り返していたら、酒場通いにも飽きるのかもしれないと危惧してしまう。

 以前は記憶がなくなる現象を大袈裟に考えていたのだが、今は「飲み過ぎたな」くらいにしか思わない。記憶が消失している間の自分を信用していないから、翌日また酒場に顔を出して昨夜の事情聴取をすることになるのだ。その結果、誰も自分の異変に気付かない。普段と何ら変わらないからだ。

 すこし話が逸れるが、ラグビーの試合中に脳震とうを起こしたことがある。正面から頭をぶつけて、真っ直ぐ後方の地面に後頭部を打ったら記憶が飛んだ。その直前のプレーが、僕が単独でボールを持ってスクラムサイドを突っ込むサインだったので、その後も同じプレーを繰り返していたそうだ。

 僕にしてみれば、そのサインは一回しか出していないので、そのプレーも一度しかやってないと思っている。記憶がショートスパンでループしているのだ。試合後、対面の選手から「今日はメチャクチャ狙ってきましたね」と言われるまで気が付かなかった。それらが脳震とうの症状だと思われる。

 飲んで記憶をなくしている間は、別に同じことを繰り返しているわけではない。かなり泥酔しているとループに入るらしいが、最近は繰り返さずに済んでいる。以前ほど酒場に入り浸れる状況じゃないからだ。この程度の酒場との距離感が本当は正しいのかもしれない。僕は長く居座り過ぎるのだ。

 最近は、家でのテレワークに飽きると昼営業のヒマな酒場に行って、仕事しながら軽く飲んだりする。軽くと言いながら、空きっ腹に入れるので明るいうちから軽く酔っている。仕事の方も疎かになっているはずだ。次の日に確認すると、知らない間に終わっている。さらに自分の信用度が増した。

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数年前の酒場帰り、まったく記憶にない写真。人生は自分無くしの旅だ。