予定調和破壊王の孤立

 僕は今でこそ酒場にひとりで通っているが、30歳前後の頃は誰かと飲みに行く方が好きだった。その頃は仲間内で合コンが流行っていたので、そういう飲み会にもよく顔を出した。下世話な話だが、合コンの目的が「お持ち帰り」だとしたら、そういう成果は一切ない頭数合わせの参加者だった。

 その頃は飲み会が楽しかった。その場限りの知らない人と適当な話題で盛り上がったり、何の反応も示されなかったりというライブ感覚が刺激的だったのだろう。でも、そういう楽しみ方は数回で飽きるもので、それ以降は惰性で参加していた。今では合コン自体を嫌いになっている。勝手な話だ。

 ある時期から、合コンと称した飲み会に参加していると客観的に見るようになっていた。冷めてるから乗り遅れるし、スタートで遅れると追いつけないのだ。もう無理したり合わせたりしないと決めてからは、余計に乗り遅れからの巻き返しが効かなくなった。そのうち飲み会に呼ばれなくなった。

 知っている人間同士の飲み会なら何も問題はないのだが、これは合コンに限らず、不特定多数の他人が集まる場では普通でいられない。僕にとって社交性という機能を使うこと自体が非常事態なので、飲酒と社交性が両立してくれない。そして、今となっては社交性も経年劣化で消滅してしまった。

 もしかしたら熱心に合コンに通っていた時期というのは、僕がいまだ持ち得ない社交性を入手するための修行期間だったのかもしれない。深層心理が社交性を必須のものと考え、僕を突き動かしていたのかもしれない。そうしないと「一生独身だぞ」と、親戚のおじさんのように背中を押したのだ。

 あの頃は場違いな場所にいることが多かった。でも、場違いを繰り返すと場違いに場慣れするのだ。いたたまれない場所でいたたまれなさを回避するのではなく、いたたまれないままで「いる」ことに慣れるのだ。異物のままでいても、その場は何も変わらない。ただ異物を避けて進むだけなのだ。

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何歳になってもハードルが高い成人映画。数多の都市伝説にめまいがするぜ。