情報よりも感触を大事に

 昨日は、いつも仕事を回してくれる会社の事務所に届け物があったので、夕方前にそこに向かった。事務所の最寄駅から歩いて行くと、向こうからその事務所の社長がやって来た。行く旨は連絡していたのだが、忘れて出てきたとのこと。僕という人間の存在感の薄さが浮き彫りになるエピソード。

 その場で届け物を渡すと用事は済んでしまったのだが、社長ともう一人でこれから飲みに行くところで「一緒にどうですか」と誘われた。飲みの誘いを断れるような強靭な精神は持ち合わせていないので、当たり前のようについて行った。やったぜ、久しぶりのタダ酒にありつけた。今夜は飲むぞ!

 仕事先の人と飲む時は、本当ならばあまり仕事の話をしない方が良いと思う。でも、僕は仕事の話で熱くなるタイプではないので、情報として単純に知りたくなってしまう。そこの社長は仕事の話が好きなタイプだが、もう一人の先輩は飲む時に仕事の話をするのを野暮だと思うタイプだったのだ。

 僕は飲んだ時の記憶が保たないので、そこで大事な情報が聞けたとしても忘れてしまう。でも、昨日のことはまだ覚えている。自分の周りの人間の現状などを聞けたので、安心したり心配したり懸念が残ったりと、多少感情が揺さぶられた。こういう身近なことはちゃんと覚えているんだと知った。

 この日、飲み始めたのは午後4時過ぎ。仕事の話ばかり続くのでウンザリしたのか、ひとりは先に帰ったが、社長とは2軒回った。僕は先に帰った人と話が合うと思っていたけれど、一緒に飲んで勉強になるのは社長のような人だったりする。それは、先に帰った人と僕の飲み方が似ているからだ。

 ひとりで気ままに飲むのが好きな人は、仕事場でのしがらみがある人と飲んで湿っぽくなるのを嫌う。僕の場合、仕事場の人とは言え関係性は遠いので、酒場で会う他人のような気持ちで話を聞ける。この辺に人間心理の妙を感じてしまう。そんなことを思いながら、その飲み会は早々と終わった。

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隅田川沿いの職場が長いせいか、その社長はいつもこの界隈で飲んでいる。