悪口アレルギーの処方せん

 これまで生きてきて、自分のメンタルが調子悪いと思ったことはあまりない。精神的には割と安定して生きてこられている。社会人になりたての頃、周りの仲間が非モテをこじらせて他人の悪口しか言わない時期があった。そのまま妬み嫉みに凝り固まっていたらメンタルにも支障を来しただろう。

 子供の頃は無自覚だったが、20代後半あたりで自分が悪口をあまり好きではないということに気がついた。個人攻撃のような場面に居合わせると気が滅入るというか、一方的にその場に不在の人間をくさす言葉の応酬が痛々しくていたたまれない。その言葉は自分も刺すだろうにと思ってしまう。

 別に僕が聖人君子で、常に誰の悪口も言わないということではない。イヤな部分を指摘することはあるし、当人に面と向かって注意することが正義だとも思わない。陰で言って、本人の前では何食わぬ顔していることだってある。誰にでも良い面と悪い面があるので、良い面だけで付き合っている。

 僕が悪口に対して拒否反応を起こすのは、その攻撃対象に対して攻め手が神の視点になっている場合だ。そこまで正義の人間なんていないだろうに、理路整然と他人をくさしてマイナスポイントを重ねる。ポイントを重ねると感じるのは、それを言う人間が達成感を感じているように見えるからだ。

 なんとなく、これは正義観のズレなのかなと思う。お互いが信じる正義に個人差があると言うことだ。悪口に限らず、面白いと思うことなどでもズレが生じると「偉そうな視点だな」と感じることがある。日常のなんてことないシーンを切り取って、ある人の所作が「変だ」とする解釈が違うとか。

 先日あるドラマを観ていて、主人公と相手役が他人のスマホの使い方に違和感を感じることで共感を持つシーンがあった。その他人のスマホの使い方は、僕には特に違和感を覚える仕草ではなかった。そういう細部の描写が上手いと引き込まれるのだが、その時に感じたのは嫌味な神の視点だった。

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死神とか神様が乗りそうなクルマ。信じているわけじゃなくイメージとして。