天使と悪魔の視点

 主観と客観、ニッチとマスなど、とにかく物事を見る時の視点というのは多いほうが良い。自分個人だけで納得するだけじゃなくて、それに対しての意見を他人に聞くことで、異なる見方を「ひとつの考え方」として容れた方が多面的に見られる。そう思ったところで、自分の意見は曲がらないが。

 自分の意見は最初のままなのだが、ある対象に対して出口が自分の理想とは違ったとしても、他人の意見を多数入れておけば納得はできる。物事の展開がそちらに転がっただけと諦められるとも言える。でも、自分の意見だけを最上のものとして他を容れないと、状況が変わった時に対応できない。

 現在は多様化した社会とはいえ、あらゆる考え方が「あって良い」というワケではない。そうなると「多様性を認めない」人のことも認めなければいけなくなる。ロジックというのは揚げ足取りだ。言葉にした瞬間に隙ができるとも言える。圧倒的に強く、何者にも左右されないような言葉はない。

 言葉を単純な箇条書きのアンケートとして、類似意見は同じ箱に分類してまとめてしまいたくなる。ところが、箇条書きのようには人は話してくれない。会話は、相手とこちらの意見交換となり、似たところと似てないところが出てくる。その差異なんて分類できない。全員細かくまるで違うから。

 僕はたまに、アンケートをとってそれを文章にまとめる仕事をする時がある。もちろん、僕の意思でアンケートを取っているワケではない。そういう仕事を依頼されて、引き受けているだけだ。そんな外注の仕事でも、やれば相手に左右される。その人の言葉に同調したり、反発したりするものだ。

 アンケートを欲しがる側は、おそらく「欲しい意見」がある。その意見を想定して、誘導するような質問項目が設定されているとも思う。でも、面と向かって話を聞いている僕には、ひとりひとりが個性的な顔を持つ人間だ。だから、まとまった意見にならないので、その仕事も最近は頼まれない。

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アンケートにより、ある傾向はわかる。まぜそばは好きですか? 好きです。