ダラダラいいわけ日曜日

 このようなブログ形式で適当な作文をアップするという自己満足をはじめて10年以上になる。最初は文章を書く練習のつもりだったが、今ではクセであり習慣でもある。日記を兼ねている部分もあるが、それほど事実をありのままに記していないので参考にはならない。本当に単なる自己満足だ。

 それでも長く続いて来たのは、書こうと思えば書くことがあったからだ。最初は練習だったので、普段からネタを頭の片隅にメモしていたこともあったが、慣れてくると、PCまたはスマホの入力画面を開けばすんなり書き出せた。むしろ、限られた文字数内に抑えることの方が難しかったのだが。

 今年の春先から自粛ムードで、それでも仕事やなんやらで出歩いてはいるのだが、これまでよりは閉じた空間で行動しているので新しいインプットが極端に少ないのだ。普段から考えている雑感や、眠っているときに見る夢の話でも書いておけば文字数は稼げるが、文字数を稼ぐのが目的ではない。

 できれば日常を記した上で、そこに僕の雑感と妄想と、軽くネットで調べた程度の「ある見解」のようなものを並べてコラムの体(てい)を成すように心がけている。僕のナマの声を発信したい気持ちはここでは一切なく、文章を書く力を身につける素振りのつもりだ。その素振りする材料がない

 今年に入ってから、過去をほじくり返すことが多くなっている。それでも書いていて楽しさがあるうちは良かったが、だんだん同じ話ばかりになって来ているのも感じている。同じ話が続くと、それは僕の意見のようで気持ちが悪い。過去を記している時は、その時の気持ちが憑依してしまうのだ。

 よくあるブログの良品だと、ある事柄に対する定点観測を毎日報告するタイプのものが理想的なのだ。自分の興味対象が日々どう進化(または変化)するかの報告は、その蓄積が多ければ多いほど、それ自体がすでに価値のある情報源と言える。そういう対象を見つけられないから行き詰まるのだ。

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旅先で発見した朽ち建(朽ちた建造物)のストックも尽きて来た。