長い休息からの帰還

 文章を記すことは訓練だと、以前たしか大沢在昌のコラムかなんかで読んだ気がする。このブログも訓練で、仕事の都合で簡単な文章を打つことがたまにあるので、その訓練としてフリーになった頃からなるべく毎日記してきた。特に何か伝えたいことがなくても、なんとなく垂れ流してきたのだ。

 最初のうちは日常のストックから引っ張り出したあれやこれ、学生時代の思い出など、思いつく話題があった。そういった諸々の具体的な事象や、個人的な体験、思いついた雑感などで文字数を埋めることができた。しかし、あくまでも訓練なので、こちらから伝えたい大事なことは特にないのだ。

 仮にでもそういったメッセージというか、コンセプトでも良いのだが、ここに記すことの背骨のようなものがあれば良かったと思う。先月あたりから更新が途絶え、なんとなく記すことが思いつかなくて放置していた。このページを開くことも億劫で、このまま自然消滅でも構わないと思っていた。

 でも、ひと月ほど経つと「あ、最近なにも更新してないな」なんて思うことがあり、普段の生活で感じたことを記したいような気分になってきた。アウトプットするに足るインプットが貯まったということだろうか。そもそも最初の動機は、そういう在庫なしでも書ける能力を鍛えたかったのだが。

 ただ、ここでリスタートなどと力を込めて始めるつもりはない。唯一のコンセプトである文章の訓練というのは変えないし、訓練のつもりだから他の業務や日常生活が忙しくなれば後回しにする。コロナ禍で暇な時期は、仕事もないのにブログだけ更新していた。その不健康さに嫌気がさしたのだ。

 僕にとってこのブログは、もっとも狭いソーシャルメディアだ。知り合いに教えてもいないので、誰も見ていないとしても構わない。個人的なストレスの掃き溜めのように使っても良いのだが、文章の訓練という大義があるので伝わる文章を心がけている。たとえ伝える相手が誰もいないとしても。

去年まで行きつけだったラーメン屋に久しぶりに行ったら気合を注入された。