奇妙な連帯感

 むかしから「敵の敵は味方」という言葉があるように、共通の仮想敵の前で他人とにわかに連帯する時がある。この感覚は、共通の知人の悪口で仲良くなるのと似ている。中年域に入ってからは悪口が苦手になったので、それで他人と連帯することはなくなった。悪口を言うと自己嫌悪に陥るのだ。

 とは言え、他人に対する悪感情が消滅したわけじゃない。イラつくことも多いし、悪し様に罵って蹴散らしたくなることもある。でも、それの後に返ってくる「お前は何様だよ」という心の声に対して上手く返せない。感情的になった自分を律することができない。できないことは、しないに限る。

 ただ、仮想敵というのは生じることがある。僕の立場と同様の同業者がいたら、その同業者が仮想敵になる場合もあるし、または共通の顧客が仮想敵になる場合もある。後者の方が多いかもしれない。お客さんは業者に対して厄介ごとを持ち込むので、その対処では同業者も同様に頭を抱えている。

 そんな同業者と話す場合、しかし決して心を許してはいけない。先方がお客さんに対する愚痴をこぼしても、その場で肯定も否定もしない方が身のためだ。そういう態度で接すると、こちらのことをビジネスライクな人間だなどと評する。つまり面白味がないという意味だ。シャクだけど仕方ない。

 同業者同士では、確かに顧客が仮想敵に思える場面は多い。かつては同業者と顧客に対する不満を言い合ったこともある。でも、その後で僕に押される烙印は「軽薄な人間」という評価だ。別にその評価は今でも当てはまるのだが、積極的に軽薄をアピールする必要はない。どうせ、いつかバレる。

 同業者でも、微妙に役割が異なっていると、話せることが多かったりする。競合した業務がなければ、逆に連携してできることを探したりする。そんな友好的な関係性の場合、逆に顧客に対しての忠誠度を測ることがある。そんなときに愚痴をこぼして反応を見たりする。嫌な大人になったものだ。

現在連勝中で絶好調の推し球団。試合前の連帯感も頼もしい限りだ。横浜優勝。