無垢な優しさのピストル

 TVの街ブラ番組を見ていると、アポ無しで店舗に取材交渉する場面がある。昨今の情勢を鑑みるとアポ無しというのはマナー違反な気がするが、現場合わせの突発的なシーンというのは素地が出るものだ。それは出演者の素地ではなく、取材される地元の方々のナチュラルな優しさだったりする。

 例えば飲食店の取材で、店前で食べるシーンを撮らせてくださいと交渉し、その土地の名産品などを食べていたりする。その日が酷暑日だとして、そこに店のお母さんがサービスでお茶を持ってくるのだが、そのお茶の量が画面に映る出演者の何倍も用意している。つまりそれはスタッフ全員分だ。

 そういう条件反射のような優しさを見せられると、なんとも申し訳ないような思いに駆られる。店のお母さんからは、画面じゃなくて取材陣が見えているわけだ。つまり、日常に訪れた異常事態に対して淡々と対応しているのだ。TV的な都合を受け入れた上で、そこに優しさを乗せて返している。

 見ている僕は、なぜか加害者のような気持ちになってしまう。視点がカメラマンと同じな訳だから、その現場でお茶の量を撮って「参ったなぁ」と感じたかもしれないカメラマンの心境に同期するのか。取材・撮影などとカッコつけているが、それに応じる必要など皆無な市井の民の矜持を感じる。

 僕の母親はTVで食事のシーンがあると、まだ食べ終わってないのに会計していると「残すのかなぁ、勿体無いなぁ」と漏らす。毎回言うので「他の店でも食べるから、ひと口ずつくらいしか食べられないんだよ」とフォローしてしまう。でも、実際に僕も「全部食えよな」と内心では思っている。

 TV側がコチラに送ってくるのは、そんな都合ばかりだ。視聴者が推し量る必要のない現場の都合、出演者の都合ばかりが目につく。見ている人間の気持ちは考えていない。だから面白くないのだ。そんな裏側をチラッと見せるのが面白かったのは80年代の話だ。前時代の遺物を見ているようだ。

僕が個人的に街ブラすると、こんな朽ちかけたような建物ばかり撮ってしまう。