旧態依然の価値観は不滅

 古いタイプの体育会系で育ったため、少なからず影響を受けていると思う。上下関係と暴力のコラボで縛り付ける全盛期のソレではなかったが、その血を引き継いだ世界観の末端にはいたような気がする。つまり、そこまで酷くはなかったけれど、今で言う「普通」とも違う歪んだ部活文化だった。

 マッチョ思想というか、弱気を見せたら下に見られるので、とにかく向かっていく姿勢だけはキープしていないといけない。それは、僕が選んだスポーツがラグビーだったから、その競技の基本姿勢として常に戦闘体制でいる必要があったからだ。特に試合中は心に弱気が兆したら負傷してしまう。

 あの頃の経験は、僕にとっては大事だと思っている。先輩も後輩も同期も、みんな大切な仲間だ。同じ釜の飯を食った戦友だ。このような表現が時代にそぐわないことは百も承知しているが、それでも僕の青春はそこにしかない。現代基準に照らすと老害と言われそうなので、大事にしまってある。

 そんなカビの生えたマッチョ思想が、ときどきムクッと顔を出す。多様性の時代に言いにくい言葉だが、つい心の中で「こいつ、男らしくねぇな」と毒吐いてしまう。仲間を裏切るようなヤツはどんな時代でも最低だ。それを、いかにも自分が正しいという論調でやられると、逆に心配になるのだ。

 誰もが安直に「病む」などと言うが、オオカミ少年のように、口にし続けていると本当に精神は弱ってしまうことがある。その点の多様性を認める社会になりつつあるが、そういう精神を人質に自分の正当性を主張するような場面に遭遇すると、かつて属していた体育会は牧歌的に平和だと思える。

 とは言え、僕が時代に上手く合わせられずに言いたいことも言えずにいる、なんてことはない。そんなに言いたいこともないし、もともと自分の意見は遠慮するタイプだ。たまにイラッとして本音を漏らすこともあるが、それはせいぜい小爆発くらいの小声だ。その程度のストレスなら許容範囲だ。

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免許更新の講習で見させられるビデオ風の図。クルマも過去の遺物となるか?