初志貫徹はむずかしい

 歯に衣着せぬ発言なんて言うけれど、頭に浮かんだ言葉を何の配慮もなしに垂れ流しているだけとも言える。配慮は人をクサクサした気分にさせるので、時には思いつくがままベラベラと話したくなる時もある。でも、やっぱり優しい方が良い。過剰な配慮は要らないけれど、人には優しくしたい。

 世の中がポリコレ疲れでウンザリ気味の昨今と思うが、こんな世界では歯に衣着せぬ発言はしにくい。誰もが見張られているような閉塞感の中で、オフィシャルな場で思うさま本音をぶちまけても自己満足に過ぎない。カウンターが効くのは主流派が強い時だけで、多様性の世界では難しいだろう。

 僕は、社会がどんな調子だろうと、自分の意見をデカい声でダラダラ言うヤツは苦手だ。それは歯に衣着せぬ発言ではなく、単なる個人都合の自己主張だと思ってしまう。もしくは論破好きの逆張りで、単なる反対意見で言い負かす趣味の人と思ってしまう。本当の意見なんて自分でも分からない。

 言いたいことを言語化するのは難しい。本当に言いたいことが、自分の好きな人を傷つける言葉だったら考えを改めると思う。他人にそんな思いをさせてまで言いたいことなんてない。その場だけ気分良くなるような、周りを納得させるような大層な意見に意味なんてない。大事なのは行動なのだ。

 なんとなく、言葉だけで熱くなる人が多いような気がする。僕も他人の言葉尻をつかまえてアレコレ言うことがある。でも、言葉の後の行動を見てからじゃないと、真意は判断できないものだ。それを言葉の段階で詰められて、身動き取れないことがある。ただ、動いてからだと結果が出てしまう。

 必ずしも良い結果は出ないので、その失敗は対抗勢力のいい攻撃対象になってしまう。それを避けるために言葉の段階であーだこーだ言って進めないというのが、この場合の配慮か。僕の意見もブレブレで芯が通っていない。やっぱり意見を曲げずにぶっ通して、鋼鉄の意志で突き進むのが美しい。

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波打ち際のゴミは悲しい気分にさせるが、意外と少ないなと思ったりもする。