こんな世界で戦う君に
若い人の活躍する姿に「元気をもらえる」とコメントする人をたまに見かける。いや、頻繁に見るのかもしれないが、そのコメントがあまりにも当たり前になっているのでスルーしているような気がする。でも、本当に元気をもらえるのかというと、決してそうではない。それは定型文に過ぎない。
それは頑張っている人に対しての賛辞なのだろう。水を差すようなことを言わないように、でも、力説するような意見もないときは「彼の活躍に元気をもらった」などと言っておけば丸く収まる。そういう意味で使う汎用性の高い便利ワードだ。単なる賛辞より、少しだけ気が利いている気がする。
この言葉が使われる場面は、基本的にはスポーツ選手が活躍した時だ。世界を舞台に若い選手が活躍しているのを見ると、ただ「凄い」と言うだけでは足りない気がする。真っ先に思い浮かぶのはメジャーリーガーのオータニさんだろう。僕は彼を見て「凄い」以外の言葉は思い浮かばないのだが。
ただ、凄い人を見て「笑うしかない」という心境になることはある。呆れるほど凄いという状態だ。そこまでの凄さを見せつけられると、確かに笑ってしまうから元気にはなっているかもしれない。感染症地獄で窒息寸前の現状では、確かにオータニさんのメジャーでの活躍は笑顔にさせてくれる。
僕が思うのは、この「元気をもらえる」という言葉が便利使いされ過ぎているなということ。その言葉の中にいろんな意味を含めた賛辞であったり配慮のようなものが見える気がするのだ。もっと自分の言葉で表現してほしいと思うが、聞き手はそこまで他人の言葉に期待してないのかもしれない。
逆にスポーツマンの方が「見ている人を元気にしたい」と言うこともあるが、それは副次的なものというか、選手が頑張れば自ずと見ている人間は応援するので活力は生まれる。その言葉はサポートする人たちへのサービス精神だろう。本来ならば外野のことなんか忘れて、集中してほしいと思う。