僕の脳みそは君のもの

 漫画や雑誌は定期的に処分してしまうが、文庫本はなかなか手放せない。エンタメ系の小説で「もう絶対に読まない」だろうと確信したものでも、何年かの経過観察を終えてからでないと処分できない。古本屋に売る場合、その経過観察期間で価値が目減りするので、本当はすぐに売った方が良い。

 僕は読むのが遅い方なので、熱心な読書家というわけではない。それでも、会社員になりたての頃から通勤で本を読むようになったので、20年分以上の蓄積がある。ザッと数えたら500冊前後だろう。ちょうど断捨離欲を掻き立てる中途半端な量ではあるが、それらはすべて経過観察中である。

 数年前から、これらの本を人に貸すようになった。よく「人にものを貸す時はあげるつもりで」という言葉を聞く。本を貸す時は、まさにそんな心境ではある。返ってこなくても構わないし、礼には及ばない。僕が好きでしていることだし、本を貸すことでその相手と数時間会話した気分になれる。

 会話というか、まずはコチラが一方的にベラベラ喋るわけだ。それを、本を返してくれた時に「面白かったです」と言われることで架空の会話が濃密なものになる。ランダムに貸しているようでも、そこには自分なりの忖度があるのだ。その人間の理解力や、知的好奇心などを想定して選ぶわけだ。

 そして今、人に貸す本を選んでいる。蔵書の中に良いものがないような気がして、新しく書店で買い足して、急いで読んだものもある。ほとんど買ってあげているようなものだが、そのことで僕の好奇心や知識も拡張されるのだ。他人の興味を自分の中に取り込んで本を選ぶという複雑さが楽しい。

 何かを選ぶ時に、真に自分が欲しいと思って手に入れることは意外と少ない。どこか他人の都合や社会の状況に合わせた調整が入ってしまう。僕の場合、それを感じた瞬間に買い物を中断してしまうこともある。物欲が勝って、熱に浮かされたように店舗を巡っている時に、ふと醒めることがある。

f:id:SUZICOM:20211224160449j:plain

買い物に行って手ブラで帰ってくると、爽快感と共に敗北感も湧いてくる。