忘れた頃に負けず嫌い

 スポーツマンが試合後のコメントで「僕、負けず嫌いなんで」と言うのをよく聞く。その都度、何を当たり前のことを言っているのかと思う。この世に生きる全人類が負けず嫌いに決まっている。誰も好きこのんで負けたくないが、明らかな努力の差があって負けず嫌いと言えない人がいるだけだ。

 初期の負けず嫌いは駄々っ子に近い。子供は勝負事で「勝つまでやる」という姿勢を取ることが多い。これは家族間で、特に親とゲームなどをやっている時にありがちなシーンだ。僕も、父親とのオセロでやり直しをお願いしたことが何度もある。そのうち怒られて、オセロへの苦手意識に変わる。

 いつまでも負けず嫌いを堂々と言っている人ってのは、この駄々っ子を放置して育てられたのではないかと疑っている。または、うまく利用してスポーツに転化させたのかもしれない。学生時代は体育会系で過ごした僕だが、そこでよく聞かされたのは「最後に勝ちゃいいんだよ」との言葉だった。

 つまり、それは先の「勝つまでやる」というのと同じ考えなのだ。そして、それでも負けた時には「自分のトイメンには勝った」という条件付き勝負への謎の勝利宣言をするのだ。僕としては、個人スポーツではないので同じポジションの敵を意識することはなかったが、それもひとつの考え方だ。

 そういえば、陸上部だった頃も、僕は記録のことしか考えていなかったと思う。タイムや記録が良くなれば、順位はどうでもいいと思っていた。それは僕が大した選手じゃなかったからだが、まずは記録を出してからが勝負だと思っていたのだ。準備が整ってからじゃないと勝負できないタイプだ。

 だから、個人だろうが団体競技だろうが、僕にとっては相手よりも自分の問題ということが多かった。大学を卒業して、社会人になってからもラグビーを細々と続けていたのは、ずっと「準備が揃った状態」でやれていないと思っていたからだろう。頭と体のすべてで理解して競技に臨みたいのだ。

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野球では負けず嫌いを発揮できず、早々に離脱した苦い思い出が残る。