トラック・アンド・トリート

 僕は中学生の頃、陸上部だった。陸上部と聞くと「足速かったの」と聞かれるが、足は速くはない。むしろ速くなりたくて陸上部に入ったようなところはある。その結果、投てき種目が専門となってしまった。身長が高くて歩幅が広いという理由だけで110mハードルも掛け持ちさせられていた。

 ハードルは短距離で、県大会の上位に行くには100m走のスピードも必要になってくる。でも、市内の予選を通過するのは容易い。ハードル走は、基本的に障害物の間を3歩で走るのが理想だ。僕はかなり無理して3歩で走っていたが、その無理のおかげでギリギリ既定のタイムをクリアできた。

 他の人は3歩で走れないし、歩数が細かくなるほど遅くなる。障害物に囚われすぎてスピードを損なうと、なんとなく運動会の障害物競走レベルの走りになる。当時の僕は、ギリギリ陸上競技的な走りの範疇にはいただろうと自己評価していたのだが、誰かが撮ったビデオで観たら運動会的だった。

 そんな感じで、僕の陸上歴でトラック競技は黒歴史的な部分だ。投てきの方が向いていたと思うし、もっと真剣に続けていたらレベルアップできたような予兆もあった。でも、僕自身は陸上部は「基礎体力向上」のための期間だった。高校に入ったらラグビー部に入ると中学生の時点で決めていた。

 あの頃は陸上部のことを、誤解を恐れずに言えば「捨てた女」みたいな感覚で見ていた。今でもそんな感じで、たまに思い出す。今朝、TVを観ていたら、世界陸上の中継で100m走の決勝に日本人が出ていた。その姿を見ていたら涙が溢れてきた。その程度には陸上に思い入れがあったらしい。

 中学生時代、周りがジャンプばっか読んでいた頃に僕はサンデーを読んでいた。あの頃の週刊少年サンデーは圧倒的に面白かった。その中には、小山ゆう先生の「スプリンター」という陸上マンガがあった。今の日本の短距離選手のレベルは、あのマンガで描かれていた神の領域に達しているのだ。

部活の思い出は晴れた夏の日の映像だが、競技会の日はいつも曇り空だった。