向こう岸まで飛んで行け

 僕が中学生時代、陸上部にいた頃の専門のひとつは砲丸投げだった。走るのが速くなかった僕は、陸上のもうひとつの側面であるフィールド種目に回されたわけである。それにしたって砲丸投げは、体格の良い力自慢が集まるパワー系競技で、僕のようにヒョロ長い体型の人間はあまりいなかった。

 砲丸投げは鉄球を押し出す競技なので、いわゆる「肩の強さ」はあまり関係ない。腕を振って投げるのではないので、強肩が生きる種目ではないのだ。僕は少年野球でキャッチャーをやっていたクセに肩が弱い。盗塁を刺さなければいけないので二塁までは投げられるが、あまり刺せた記憶はない。

 そこに小さなコンプレックスを抱えていた僕は、密かに「強肩」への憧れがある。川に行くと、つい小石を遠くにぶん投げて自分の肩を試してしまう。その都度、あまり飛ばない石に苛立つ。だから、オリンピックとかでやり投げなどを見ていると、飛んで行くやりの放物線に萌え上がってしまう。

 肩の強さって、原始時代はものすごく重宝されたような気がする。遠くの獲物に石をぶつけて動きを止めることもできるし、離れた場所にいる仲間に自分の存在を教えることもできる。もしかしたら足の速さよりも上位にある能力だったかもしれない。そんな原始時代の記憶から憧れるのだろうか。

 ちなみに先の砲丸投げでは、可もなく不可もなくの成績だった。身長が高い分のアドバンテージがあったのか、最初のうちは良い記録が出ていた。そのうち、他の専門種目のヤツにも抜かれるようになっていった。記録を伸ばすためのトレーニングがまるで思いつかず、ただ放るだけの日々だった。

 今なら腕を押し出す力の強化と下半身の瞬発力系の強化などを思いつく。でも、当時は反復練習に勝る努力なしと思い込んでいた。論理的な裏付けよりも、自分をいじめて鍛え抜いた先の成果しか信じなかった。自分が意外と話の通じない根性論者だったことを思い知る。当然、成果は出なかった。

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免許センターに次ぐ鴻巣名物・川幅うどん。僕の学生時代の体型に似ている。