誰とでも楽しく過ごせるか

 僕は八方美人だ。後になって考えれば無駄なことだと思いつつ、その場では相手に嫌われないように振る舞っている。だからイマイチ人望がないのだろう。何を言われても合わせにいってしまう。でも、最近はスタミナが続かなくなっており、途中から合わせることに疲れて無言になることも多い。

 語弊がないように言っておくと、僕が相手に合わせられるのは自分の中に何の意見もない事柄に限ってのことだ。普段からなんでも自分の意見を持って武装してはいないので、ある意見を持っている人の言葉は聞いてしまう。その上で、さらに話したそうにしていれば興味を持って聞くだけのこと。

 ただ、自分に強いこだわりがあることは合わせないし、コチラのこだわりもわざわざ開陳しない。そういう話で意見を戦わせてしまうと、遺恨を残してしまいそうな悪い予感がある。僕が喋りすぎるとロクなことがない。頭の中で何度も転がした話題についてなら、なおさら言葉が先鋭化するのだ。

 そうやって自分の意見を貫いて、どんどん孤立していっても構わないとは思う。行く先々で敵を増やして、それでも自分を曲げないのが楽しいのなら、そうやって生きるだろう。そんな人生が楽しいとは思わないから、そうしない。もっと楽しく生きるていくために、僕にはまだ他人が必要なのだ。

 自分の八方美人に嫌気がさして、あまり飲み会に行かなくなったことがある。それ以降も知らない人間が集まる飲み会には行かないが、いまは以前ほど自分の八方美人に落ち込むことはない。個性を尖らせて相手と衝突するよりは、その場のすべてを丸く収めようと努力する八方美人の方が美しい。

 ただ、何事にも徹底しない僕のことだから、どんな時でも常に八方美人で人当たりの良さを発揮してはいないようだ。不機嫌は顔に出るし、面白くない話には顔をそむけてしまう。僕の八方美人は導入部分だけなのだ。その導入で話が上手く転がらなければ、僕の八方美人タイムは終わってしまう。

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近所にある長年放置された元教員住宅は、雑草に覆われた町の嫌われ者だ。