いつでも君をルッキンフォー

 小さな懸念や心配事に支配されて、足元にあるとびきりの極上面白を見逃してしまうことがある。視野が狭くなっているのである。脳内を思考で充満させがちな僕は、ないはずの心配事を創出させてしまうことがある。自分から悩もうとしているのだ。それは、いざ悩んでしまった時の保険なのだ。

 常に小さな悩みを置いておくことによって、本気で悩まなければいけない案件が発生した時にも、その悩みは順番待ちとなる。ルーティンワークに落とし込めるのだ。そんな風に机上の空論で待機しているのだが、いざ悩ましい事態に襲われると思考停止し、一瞬で機能不全に陥る脆弱なシステム。

 ある時期から、僕は準備をすることをやめた。素手で相手に対する、自分の本能で相手とやり合う、持てる力をその場で出し切るなどと言えば聞こえはいいかもしれないが、つまり準備不足だ。準備をすればするほど不備が気にかかって不安になりそうなので、初手から準備しないで挑むのである。

 ただ、そんな経験を重ねた結果、考えすぎのループに陥らない程度にサラッと予習をしておくことで手を打った。僕としては最大の妥協だ。僕がなぜ徒手空拳を心がけるようになったかと言うと、それは僕が事前情報でかなり予断を組み上げてしまうからだ。目で見て、直に会って判断したいのだ。

 他人の本質を理解したいということではなくて、相手の面白い部分をいかに見つけるかの勝負だ。例えば、事前に「あいつマジつまんねー」と聞いていたとしても、その情報をくれた人間が面白味を見抜くセンスがないかもしれない。そういうことだ。すべては自分の感性で決めなくてはいけない。

 その場で働く「勘」を信じているのだ。そして、僕は「面白いことは正義」だと信じている。それは物の見方の問題だ。お笑い芸人至上主義的な話ではない。笑えることは素敵なことだが、この世には笑い以外の面白さの方が多いはず。だから、なるべく広い構えで人と向き合いたいと思っている。

f:id:SUZICOM:20200626105410j:plain

パッと見食べきれないと思っても、中は意外とキュウリだったりする。