妄想中年・エモ散歩

 街中を歩いている時に、ふと思いついたことが妙に感動的で泣けてくる時がある。でも、街中で涙ぐんでいる中年はみっともないので、すぐに思考を散らしてフラットな状態に戻す。だから、その時に思いついたエモい想像が記憶として固定化されていない。催眠術にでもかかれば蘇るのだろうが。

 ドラマや映画、小説などの創作物を見たり読んだりしていても、その後の展開を自分の中で勝手にめぐらせてしまう時がある。オチを予想すると言うより、本編を見ている最中からスピンオフを勝手に作っているのだ。そう言う遊びをしたくなるくらい、その本編の設定が強固だということだろう。

 これらの妄想は必ず「泣ける」展開になってしまう。どうも、泣きを重視しているようなところがある。以前、付き合いたいと思っていたけれどまったく相手にされなかった女の子に「泣けることって大事なの?」と問い質されたことがある。多分、泣ける本をススメたのだろう。恥ずかしい話だ。

 泣くことを感動のバロメータにしている点を「本当にそうか?」と問われたのだと思う。こういう本質クサイことを言われると意固地になる。それに、結局僕は感動すると泣くのだ。それがどんな質の感動でも泣けてしまう。泣かそうとする仕掛け満載のドラマでも、あっけなく泣くタイプなのだ。

 僕が、思い出すだけで泣けてしまう感動のシーンがある。青春ドラマの金字塔(オレ比)である「スクール☆ウォーズ」で、最強の不良である水原亮が熱血教師の滝沢賢治に「先生、オレもラグビーやっときゃ良かったな」と呟くシーンだ。これで構築された泣きのプロセスを方々で流用している。

 あと、まったく感動方面とは関係ないのだが、子供用のキャラクターがプリントされたグッズを見ると無性に寂しくなったり、泣けてきたりすることがある。子供の一番可愛い時期を凝縮したような、それらの優しいグッズ群を見ながら「イノセントは儚い」と呟いて涙をこらえる中年男がひとり。

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妄想中年を街に放り出すと、すぐに泣ける素材を見つけて涙ぐむ。