見えない自由と不自由

 我が家の隣の家が建て替え中なので、長いこと更地になって見晴らしが良かったのだが、昨日から足場が組まれ、今朝には家の骨格を組む作業に入っていた。休日の朝は遅く目覚めたいものだが、朝から作業の音が気になり寝ていられない。いや、寝てはいたのだが眠ってはいないということだが。

 我が家と隣が隣接するサイドは、足場でほぼくっ付いている。僕が頻繁に使うトイレから外をのぞいたら、手が届くくらいの近さだ。トイレに隣接した足場の板にコンビニの袋が置かれていたので、そこで休憩とかされたら嫌だなぁと思った。いや、あの感じではすでに休憩した後だと観察できる。

 今後数ヶ月、昼間に家にいるときは、すぐ横に作業員の気配を感じてトイレに入らないといけない。これをストレスと感じるのはこちらだけだ。作業員は、仕事のストレスはあるかもしれないけれど、トイレが真横にあることはストレスでも何でもない。不公平だなぁ。公平にする術もないのだが。

 さらに僕は、仕事に行く前にシャワーを浴びる。いわゆる朝風呂だ。風呂には入らないが。その風呂場も、建て替え工事中の隣と隣接している。これに関しては、足場が組まれる以前から気になっていた。働いている人間の横でのシャワーは落ち着かないものだ。こちらは全裸、最悪の無防備さだ。

 隣の家の建て替え工事というのが初めての経験なので、まったく覚悟をしていなかった。ただ、以前にも別件で足場を組まれた経験から、割と近い場所に人の気配を感じることは予想していた。なので、このことをストレスに感じないように楽しく受け入れる気持ちを持とうという努力をしている。

 まあ、要はこんな些事に気をとられたくないのだ。まったく気にならない強靭なメンタルの男でいたい。そう念じている段階で、相当メンタルの弱い人間なのだが。僕の中の小さな嗜好に「工場萌え」気質がある。その部分から作業の現場を楽しむヒントを探したのだが、意外とヒットしなかった。

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東京湾のキリン。ガントリークレーンは工場萌えの象徴的存在だろう。