大事なものを忘れるな

 外出時は、特に電車で移動する際は本を持って出かけたいと思っている。いつでも何冊か読みかけの本があり、そのどれかをバックに入れておけば良い。小説は展開が気になるので、比較的早く読み終えてしまう。でも、エッセイ集のような細かく章立てされた本は、ダラダラ読むのが好きなのだ。

 だから、読みかけの本はほとんどがエッセイ集だ。あの手の本は薄いので、いつでも一気に読み終えられると思っている。その、「いつでも」という感覚がワナで、一度置いた本は長いこと放置される。その間に、また別の小説を買い、小説を買うとエッセイも欲しくなり買い足してしまうという。

 現在、お出かけの供となる本がない状態である。もちろん、家には複数の読みかけが僕の手に取られることをジッと待っている。その中から一冊、今朝トイレで久しぶりに読みはじめたところ、あと数十ページで読み終わるところにシオリが挟まっていた。電車移動中に読み終わるくらいの分量だ。

 本を読み終えるのは、小さな達成感があるものだ。日常でも仕事でも、なかなか完全に終わりになる業務はない。でも、本は読み終われば納得できる。しかも、自分の都合で勝手に読み返すこともできる。エッセイなら面白かった部分だけ抜粋して読むこともできる。それは、とても自由な行為だ。

 だから、今朝の僕は本を持って出かける気マンマンだったのだ。電車読書には音楽が欠かせないので、アイポッド代わりに使っている旧型のアイフォーンの充電もバッチリだ。そして、自転車に乗って駅に向かい、駐輪場に自転車を停めてアイフォーンを操作すると、初期設定画面のような表示が!

 あまり詳しくないので、あの画面が何なのかは現在不明だ。でも、とにかく音楽が聴けない状態であるのは間違いない。仕方なく、音楽なしで本を読もうとバッグをまさぐると、おかしいなぁ、入ってないぞ。結局、音楽は聴けず、本も家に忘れてきて、味気ない通勤電車に揺られるだけの水曜日。