人間をあきらめるな

 ひとりで仕事していると、時々心がポキッと折れそうになる時がある。こちらの意図が伝わらない、先方の要望が理解できない、そんな時に「もういいや」と自棄になりそうになる時がある。家にひとりでいるから愚痴を言う相手もなく、イライラが熟して熱を帯びてしまう。もう破裂寸前なのだ。

 そんな心理的ゴミの不法投棄場として、酒場を利用していたわけだ。愚痴を垂れ流すことは控えていたが、ストレスとして固着しない程度には捨てさせてもらった。コチラだけの言い分なので、先方の意見も聞かないと判断できない話ではある。でも、コチラは判断を求めているわけではないのだ。

 それは酒場の店主たちも心得ているので、特に意見は挟まずに「そうだね」と相槌を打つに留めてくれる。それ以上こねくり回して、僕の深層心理のドブさらいをするようなミスは犯さない。それが助かる。変に良し悪しを言われても困るし、ある面ではコチラが甘いってことも分かっているのだ。

 ただ、他人に嫌な面を晒すことで、その事象に対する本質が見えてくる時がある。この問題は、実は僕が問題化させているだけで「何も起きていない」のではないか、という場合がある。シンプルに、先方からのクレームだと思っていた連絡が「たまには会いに来いよ」というサインだったりとか。

 そういう発見というか、見直しができるのが酒場の良いところだ。ひとりで飲むということは、頭の中の自分とじっくり会話する機会でもある。そうすると大体、自分の都合のいい方に解釈していく。そう解釈してしまうと、その理解の仕方以外に正解はないように思える。そして、実際にそうだ。

 僕にとっての正解、それがポジティブ方面の回答であれば間違いはないのだ。それを持って仕事に当たれば、以降はスムーズに進むことが多い。結局、最初から何も問題はなかったのだ。それに気付けるのが酒場の良いところだが、断酒中なので顔を出しにくい。別の思考スペースを探さなければ。

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トレイもシンキングタイムには最適な場所。ただ、出先で紙がない時は震える。