人の目を見て話せない

 面接のときは「面接官のネクタイの結び目あたりを見る」と教わったことがある。ほぼ目を見ていると錯覚してもらえるポイントがその辺りなのだと言っていた。誰が言っていたのか、今ではハッキリしない。高校受験の時だったか、大学か、就職試験か。面接のたびに、この目線の話を思い出す。

 僕はあまり人の目を見て話せない。目が合うとスッと逸らしてしまう。何か息苦しく感じてしまうのだ。そんなときもネクタイの結び目あたりを見ようと思うのだが、至近距離だと普通に伏し目がちになるだけだ。面接というディスタンスを取った状況だけに通用するのがネクタイの結び目なのだ。

 たまに、あまり目を見ないのも変だよなと思って、意を決して相手の目を見ると高確率で相手は目を逸らす。または、こちらを見ていない。そこで僕だけじゃないと安心するのだが、中にはずっと視線を外さない人もいる。そういう人には強さを感じるが、その強さには危うさが見え隠れしている。

 なんとなく自分だけの都合を押し付けているような気配を、うっすらとだが感じてしまうのだ。目を逸らさない態度が、相手に対する気遣いを一切感じさせないからだろう。目を見ることで相手をいろいろと知ろうとする姿勢は正しいのだが、それだけで「知った気になるなよ」という思いもある。

 目を見て話す派の人は、小さい頃から言われていた「話すときは人の目を見ろ」という教えに従っているに過ぎないのかもしれない。僕のように普段からあまり目を合わせない派にとっては、目を見て話さなければと意気込むときは「嘘をつく」ときだ。または、自信のないことを話すときもある。

 後ろめたいことがなければ普段通りの視線逸らしも不自然じゃないのだが、後ろめたいことがあると、どうしても構えてしまう。それを踏まえて考えると、やはり「目は口ほどに」物を言っているのだろう。僕もなるべく目を見て話すようにしよう。意識しないと、視線はどんどん下がってしまう。

f:id:SUZICOM:20210206161705j:plain

眼鏡を外してボンヤリとしか見えていないと、目を見ても恥ずかしくない。