偽りのファッショニスタ

 僕は帽子が似合わない。特にベースボールキャップと呼ばれるタイプの帽子が絶望的に似合わないのだ。理由は顔が大きいからだろう。頭のカタチも良くないので、どうにも収まりが悪い。でも、草野球チームに加入しているので、試合の時はかぶらなければいけない。そこは、あきらめが肝心だ。

 何を諦めるのか、それは格好良さだ。スポーツは格好から入った方が長続きすると思うのだが、僕はあまり格好にこだわりたくない。下手なくせに良い持ち物を持っているのはダサいと思う。でも、中年の遊びでやっている野球なので気に入った道具は持ちたい。そういう意味では、帽子は埒外だ。

 他にも僕が帽子をかぶるシーンがある。それは「釣り」だ。僕は「釣りキチ三平」での魚紳さんの言葉を胸に刻んでいる。磯釣りの装備をカッコ悪がっている三平に「海をナメるな」的言動で厳しく叱る魚紳さん。僕も釣りに行く時に「似合わねえんだよな」と思いつつ、魚紳の教えに従っている。

 釣りで帽子をかぶるのは安全のためだ。ルアーが無防備な頭に引っかからないように物理的に守ってくれる。まあ、それ以外にも理由はあるのだが、前段の魚紳の言葉を引用した手前、この理由がもっとも合っている。僕も、似合わないと知りつつ若気の至りで購入した帽子を装着して釣りに行く。

 もうひとつ、これは殉教に近い思いなのかもしれないが、好きな球団の試合を観に行くときは帽子をかぶる。帽子をかぶることで、そこに集まるすべてのファンと同化するのだ。僕のエゴなどなく、ただの応援要因になりたいのだ。そんな気持ちで観に行った試合は、今のところホーム全敗である。

 次の連休中に野球観戦に行くことになった。また、似合わないキャップをかぶる時が来た。まったくファッションとは無関係な帽子。ユニフォームも着て行くので、ひと目で「それ仕様」と分かってもらえるだろう。この服装のセンスって、ネクタイ姿にジャージを羽織る教員の感じに近いと思う。

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都会の用水路。汚れているように見えて、水は澄んでいる。