俺ってそういう人じゃないですか

 年齢とともに使う一人称は変わる。物心ついたときは「僕」と言っていたと思う。それが「俺」に変わるのは小学生のどこかなのだが、それが最初の同調圧力だったかもしれない。僕もその辺りで俺変(呼称を俺に変えること)したのだが、最初のうちは違和感と気恥ずかしさがあったと思われる。

 なぜ同調圧力だと感じたかと言えば、僕は別に僕呼ばわりのままでもよかったと思うからだ。でも、なんとなく弱々しいイメージの僕のままではナメられるような気もする。それに「俺」の方が勇ましい響きがあり、そう呼ぶことで男の階段を登れるような気がしたのだ。何も変わらなかったけど。

 ただ、一度俺変してしまうと、そこから僕に戻す機会はなかなか来ない。もう同調圧力とかから解放される高校生くらいに戻せたかもしれないが、その頃には「俺」が体に染み付いてしまい、僕に戻したいという発想すら浮かばなかった。そのまま現在に至るまで、普段の一人称は俺のままである。

 先日、ドラマをボーッと見ていたら「一人称を使う必要がない」というセリフがあった。会話の中で一人称を使うのは無駄だという言い分だ。面と向かって話しているのだから、私とか俺とかつける必要はないという。それを聞いて、一人称を使わずに話すのを試したいのだが、試す相手がいない。

 僕もそろそろ普段の「俺」をやめたいと思っていたのだ。一人称を使わない話法を身につけてしまえば、俺どころか僕も私も使わずに済む。もっと老いてから自分のことを名乗る程よい呼称を見つけあぐねていたが、使わないという選択肢に光を見た気がする。試す価値のあるチャレンジだと思う。

 大学時代、ラグビー部内では下級生の一人称が指定されていた。先輩の前では自分のことを「自分」と言わなければいけない。この呼称は恥ずかしい。いかにもバンカラな世界のノリに思えるからだ。あの頃はなるべく自分と言わずに済むように努めていた。だから、人称不使用は身についている。

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俺ってセンチメンタルじゃないですか。季節外れの海が好きじゃないですか。