汗と涙を血に染めて

 僕は汗っかきだ。他の人間になったことがないから比較はできないが、目に見えて垂れ流している汗の分量が他人より多いと思う。分かりやすい例で言うと、複数人でグレーのTシャツを着て、同じ時間を同じ場所で過ごした場合の汗染みの面積の広さには自信がある。いや、自信ではないのだが。

 なんとなく、漫画的なイメージの話だが、熱血感を描写する際に「汗」が描かれているように思う。当人の「熱さ」を「発汗」で表現しているのだろうか。これに対比して、冷血漢の場合は汗は描かれない。冷血感が汗する場面というのは、分かりやすくピンチの時だ。つまり、その汗は冷や汗だ。

 僕は汗っかきで得したことなどないが、中には汗っかきのイメージを逆手にとる手法もあるようだ。本当かどうかは知らないが、訪問販売員が真夏でもスーツをキチッと着ることで汗だくになり、分かりやすい「一生懸命」を演じていると聞いたことがある。それは、ある面では一生懸命だと思う。

 その姿を一生懸命と感じるのは、汗と労働のイメージが重なるからだろう。必死さが伝わるというか、これもセルフプロデュースの一環ではあるのだろう。迷惑な話だ。僕のように演出抜きで汗をかく人間が無能に見えてしまうではないか。実際の僕の能力は置いて、そう見えるということが困る。

 汗っかきと比例して涙もろくもある。他愛ない感動ですぐ泣く。それが演出だと分かっていても泣く。先日、古いガンダムのDVDを観ていたら、割と頻繁に泣いてしまった。序盤の名エピソード「ククルス・ドアンの島」では、そのタイトルだけで条件反射的にジワる。作画崩壊なんて知らない。

 とは言え、汗っかきも涙もろさも個人的な状況では損でも得でもない。これが、外に向かった時(つまり人に見られた時)に反応が分かれる。で、「過ぎたるは及ばざるが如し」という通り、過剰な発汗や助走の短い涙が他人に与える印象は良くない。ただ単にガマンができないヤツだと思われる。

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汗っかきのくせに、カレーは辛い方が好き。もちろん汗だくになる。