あのとき君はどこにいた

 学生時代の答え合わせではないけれど、当時あまり話していなかった人と当時のことを話すのは楽しい発見がある。まず大前提として、お互いに本当のことを話すというベースが必要だが、年齢を重ねると無駄な嘘はあまり言わない。いや、嘘というより無駄な見栄を張らないということだろうか。

 僕の高校生のころは、明確に「目立つ子」と「それ以外」が分かれていたと思う。目立つ子の周りにいる人間もそれ以外なのだが、それ以外の中でも上位に位置付けられる努力をする子と、独自の島を作る子がいた。そんな独自の子たちを当時は「オタク」とか言ってからかっていた。偏狭なのだ。

 そういう学校のポジショニングで、言えることと言えないことがあったように感じる。僕は目立ちもせず、暗くもなく、でも高校の中で特に誰かのグループに入るということもなかった。普段は中学時代の友達と遊んでいたし、途中で部活を変えたりしたので特に親しく付き合う友達はいなかった。

 でも、全然寂しくなかった。僕がもっとも人間観察を楽しんだ期間だったかもしれない。それは部活があったからというのもあるが、途中からラグビー部に転部したので全然上達しないし、慣れなかった。その引け目があって突き抜けられなかった部分はあったかもしれない。いま考えればだけど。

 学校は楽しかったけれど、高校時代は過渡期というか、とにかく中途半端な印象しかない。そんな時期の自分のことを他人がどう見ていたかなんて興味ないけど、他人のことは見ていたので、それらの人に対する見方を聞いて「ふ〜ん、なるへそ」と思うことはある。昨日はそんなメンツで飲んだ。

 こんな時期なので大勢で飲んだわけではない。近くに住む高校の同級生と3人で飲み、自然に高校の頃の話題がやり取りされる。僕以外は女性なので、先のような評価軸(目立つ子とそれ以外の図式)で語られる。彼女たちも自分たちの論理で、当時の人間関係を独自解釈していることがわかった。