風に舞う薄弱な愛たち
クリスマスイブだからって何か特別な感慨が湧くわけでもなく、スペシャルな予定も入っていない。ただの年末の木曜日だ。フリーランスの特権なので、平日の午前中から髪を切りに行った。なんとなく伸ばし放題にしていたのだが、鬱陶しさに負けて切った。クリスマス仕様というわけではない。
モテない中年のルサンチマンが燃え上がる日だが、僕も非モテでルサンチマン体質(そんな体質はないが)気味なのでクリスマス前後には目も耳も閉じていることが多かった。見ないようにして、聞こえないふりをして、浮き立つこの季節をやり過ごす。それでも油断すると周りの装飾が目に入る。
そんなクリスマス気分を上げる仕掛けの中でも、年々僕が抗えない魅力を感じているのがマライア=キャリーの「オール・アイ・ウォント・フォー・クリスマス・イズ・ユー」だ。英語は赤点だった僕が訳すと「クリスマスに欲しいものはあなただけ」とでも読むのか。この曲がたまらなく好きだ。
この曲を聴くと、マライア=キャリーという人の「セレブの悲哀」のようなものを感じてしまうのだ。ギュンギュンに歌い上げるハッピーでアッパーなパーティーチューンだが、特大のホームパーティの後で1人残される主催者の寂しさが透けて見えるような気がする。もちろん考えすぎなのだが。
だから、大パーティーなんか開かないで、大好きな人と2人きりにさえなれれば良いというささやかな願いが現実のマライアと重なって見えてしまう。ショービズの荒波の只中で仁王立ちで歌い続ける華やかなスターの背中に差す悲しい影を勝手に見出して、泣きながらこのテキストを打っている。
非モテのルサンチマン野郎から見たら、マライアのような大セレブは真逆の存在だ。持てる者の側に立っている、妬みの対象のはずなのだ。それでもクリスマスに願うのは「あなただけ」なのだ。僕らと何も変わらないではないか。このロジカル検証の結果、僕はクリスマスに涙ぐんでばかりいる。