跳ねる衝動、抑える非モテ

 学生時代の僕は音楽に乗ることが恥ずかしいと思っていた。周りの目が気になって仕方ない時期なので、変な目立ち方をしたくなかったのだろう。先輩がエアギターしながらジャンプしている姿を見て、「隙だらけだな」と思ったものだ。案の定、ほかの同級生もそれを見て笑いを噛み殺していた。

 でも、本当はエアギターで跳ねるくらいエネルギーを持て余しているのが若さだと思う。当時もクールを装っていたが、本来は跳ねる側の人間の方が正直だということを知っている。ある種のルサンチマンなのだ。ありのままを表現できる人は、自分に自信があるのだ。そんな自信は持てなかった。

 自信を持たないヤツはモテない。僕もそちら側が長かったのでわかるのだが、モテないヤツはモテようとする努力を嘲笑する。いま考えると非常に愚かしいことだが、モテたいがために変わろうとする姿を「必死やん」と冷ややかに見てしまうのだ。その必死さは大事な向上心だと思い知るが良い。

 あ、モテ論を展開しようと思ったのではないのだ。そもそもモテないのに、モテ論をブチあげられるはずもない。冒頭のエアギター先輩のようなノリノリな姿は見せられないが、30歳を超えた頃から音楽に乗れるようになった。ライブを観に行くようになったからだ。ライブでは主に揺れている。

 学生の頃は素直に音楽に没頭する姿が、おそらく想像だがモテの方に振れていた。でも、中年が音楽に乗る姿は果たして見栄え的にどうなのだろう。僕はもう周りの目を気にしなくなったので、モテから解放された状態で音楽に乗っている。ありのままが潔くない年齢になって、それをやっている。

 歌いながら自転車で走り去っていく学生を見かけると、あのくらいの年齢で堂々としたもんだなと思う。もっともシャイな時期のような気がするが、自転車の運転中はクルマの中みたいな感覚なのだろうか。僕もクルマの運転中は主に熱唱している。1時間くらいの距離だと、喉が嗄れるほど歌う。

羨ましくはないが、モテの呪いからは解放されてそうなガンジーの雑な彫像。