ロマンティックなう

 かつて誰かが「彼女がいるかと聞いて『今はいない』って答えるヤツはモテない」という法則を口にしていた。わざわざ「今」を強調している点が怪しいと言うのだ。そこに、以前は彼女がいたんだという当人の主張のようなものを感じる。そんな相手の知らない過去に執着する姿がモテないのだ。

 モテないと評されるからには、その人間はモテようとしていると見られている。モテに関して必死じゃないようなら、わざわざ指差してモテないことを伝える必要はない。でも、モテたがっているとバレているから、周囲に「否」と釘を刺されるのだ。その姿は「浅ましいぞ」という注意でもある。

 モテに関しての引っ掛かる言葉で、僕が何度も合コンで言われた「モテそう」という慇懃無礼な言葉がある。僕にその言葉を投げかけた女たちは、誰も僕に電話番号を教えてくれなかった。それは、モテそうだから他に行きなという拒絶を先の言葉から感じたからだ。僕の実感であり、確信がある。

 また、ある時期の僕がとても引っ掛かっていた表現で「好きな人は好きだけど、嫌いな人は嫌いだよね」という言い回しがある。これは当たり前のことを2回も言っている無駄な言葉の羅列である。でも、確かにこの回りくどい言い方をしたくなる場面がある。好き嫌いが分かれるモノへの評価だ。

 例えば前世紀のパクチーなどは、まさにこんな言われ方をしていた。ほとんど先の言い回しとセットで登場すると言っても、それは言い過ぎなのだが、どちらかと言うとパクチーが嫌いな人が使う表現だったと思う。好きな人は「パクチー好き」と声高に宣言して変わり者扱いを受ける時代だった。

 これらの言い回しを総括すると、僕は今は彼女がいなくて、それでもモテそうだから好きな人は好きになってくれるのだろう。嫌いな人からは嫌われるけれど。僕のことを好きな人は、それを声高に宣言して変わり者扱いされるのかもしれない。それではモテないだろう。つまり、そういうことだ。

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僕の恋愛なんて神頼みに近いが、神域のマナーに追われて願い事は叶わない。