聖なるひとりぼっち

 人が大騒ぎするような記念日は、寂しさも強調される。自虐のように、その日に予定がない自分を笑う人もいる。また、寂しいと思っていないのに、余計なお世話で慰めてくるようなのもいる。記念日に呪われている。心が日付けに囚われている。その日を過ぎれば、それはただの「昨日」なのに。

 クリスマスというのは子供がプレゼントをもらう日だ。少なくとも日本ではそうだ。それを拡大解釈して、大人になってもプレゼントをあげたりもらったりする風習が根付いてしまった。そのついでに、恋人たちは特別な夜を高級なホテルに泊まって過ごしたりする。一度でいいからしてみたいぜ。

 そんな日付けの符号に翻弄されるかのように、ここ数日の僕が愛読していた小説は「アブラクサスの祭」だった。精神病みの坊さんがロックで救われるような話だが、この中で何度か「ハレルヤ」というレナード=コーエンの曲が出てくる。今の時期にはとても合う、しっとりとした名曲だと思う。

 しかし、僕にとって「ハレルヤ」は、ジェフ=バックリーの歌うカバーバージョンの方が印象深い。その歌唱を聴いて気に入り、オリジナルのコーエン版を買い求めた。すると、オリジナルの方がカバーのように聴こえるという不思議を初めて味わった。アレンジが妙に軽いのも気になるところだ。

 コーエンは言葉の人で、ジェフは歌唱の人という印象がある。どちらも故人だが、ジェフの方は早逝した天才のイメージが強い人なので、歌にマジックがかかっている。とにかく、この時期に聴くハレルヤは胸に沁みる素晴らしい曲だ。ジェフ=バックリーの歌とともにぜひ堪能してほしいと思う。

 そして、先の「アブラクサスの祭」の映画版のエンディングにもハレルヤは流れる。これは、映画に主演したスネオヘアーともさかりえが歌っている日本語詞のバージョンだ。クリスマスソングではないが、ハレルヤと繰り返されるこの曲を聴いていると年末を締めくくるエンディング感がある。

f:id:SUZICOM:20201225135342j:plain

高速道路を真下の至近距離から見て、師走の道路にお疲れ様と唱える。