止まったままの世界

 しばらく会ってない人との関係は、どこかでピタッと止まっている。数年ぶりに会ったら結婚して子供もいる、なんてことはよくあるけれど、だからといって関係性は以前と何も変わらない。人の親だという認識もなく、ただの友達として話している。実生活での距離感などは感じられないものだ。

 古い仲間たちの中では、結婚していない人間は僕だけかもしれない。中には複数回結婚しているのもいるくらいだから、僕だって一度くらいしておいた方が良いかもしれない。子供の頃は大人になったら結婚するもんだと思っていたが、僕はいつまで経ってもしない。予定もないし、相手もいない。

 結婚の話になると、モテの話を持ち出す人がいる。そんなにモテないのか、と問うてきたりするわけだ。結婚とモテの相関関係なんて皆無だろう。まあ、ハッキリ言って僕はモテやしないけれど、結婚していないのはモテないからじゃない。そして、結婚できないと言われると大きな違和感がある。

 自分の人生の岐路で選んだ道のどこをどう選んでも、いまの自分しか想像できない。逆に、何も選ばなかったから今に至るとも言える。選びたいと思わせるスペシャルな要素がなかったから結婚してないのだろう。してないヤツが生意気を言うかもしれないが、今までは結婚を選ばない人生だった。

 さて、では今後は結婚を選ぶ人生なのかと言われると、そんな相手もいないので答えは見つからない。果たして相手を探しているのかと問われても、大声で「イエス」と言えるような動きはしていない。ただ、なんとなく楽しく話せる異性の友達は欲しいと思っている。現状は酒場で事足りている。

 おおはた雄一というミュージシャンの「おだやかな暮らし」という曲がある。その曲の世界観が好きだ。パートナーと暮らすなら、この曲に描かれているような情景の中で生きていきたい。その生活が果たして結婚なのかは分からないが、少なくともそういう願望はあるようだ。いつになるのやら。

おだやかな暮らしにインスパイアされて、埼玉西部の湖畔の緑を貼ってみた。