振り返っても誰もいない道

 独自路線を貫く人がいる。誰からも理解されないが、それでも自分はそこに価値があると信じ続ける頑固者だ。そういう態度は尊いと思うこともあるが、本当に誰も見ていなかったら独自すぎて知ることもない。そこに誰かが媒介として世間と繋ぐことになる。その媒介者待ちの状況は恥ずかしい。

 発信力というのは独自性と相入れないようなところがある。マス的な力を利用するためには、広範囲に認められる存在でなければいけない。広い理解を得ようと思うと、平均化しなければいけない。わかりやすく噛み砕くと、この世のほとんどのことは同質のテクスチャーになってしまいそうだが。

 アートの世界ならばオリジナリティが大事なので、独自路線は歓迎されると思う。それでも中間にフィルタを通して、えぐみの強いオリジナリティを緩和させてマスに発信した方が拡散する。身もふたもない言い方をすれば儲かるだろう。まあアートの世界のことは何もわからないので、想像だが。

 すべての人間が独自路線だと思う。無個性な人間なんていない。個性はあるが、それが「面白い」とか「変わっている」などと言われない微々たる違いだったりするので目立たないだけだ。例えば、その人の一番尖っている部分だけを表出させたとしても、辛うじて見える程度の違いかもしれない。

 そんな中で独自路線に打って出ている人間というのは、初手から狙っているのだ。僕も、小さい頃から他人から「変だ」と言われることを褒め言葉として受け止めてきた人間だ。自分では変だと思っていないが、他人が何を変だと言っているのかは分かる。つまり、わざとやっている部分だからだ。

 結局それは、独自などと言って孤高を目指しているわけではなく、どちらかと言えば「かまってちゃん」なのだ。「ホラホラみんな〜。僕スゲー変なことしてるよ。見て見て〜」というアピールに過ぎない。いつまでも変人ごっこをしていると、周りに誰もいなくなる。かまってくれる人もいない。

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飲食店は個性的な方がいいが、その店の独自ルールを押し付けられると怒る。