われも凡庸、彼も凡庸

 凡庸だと思っていたヤツが意外と鋭いことを言う時がある。そんな感覚を抱く時点で、僕は自分が凡庸ではないと思っていることがバレてしまう。そこは恥ずかしいところだが、ハッキリ言ってしまうと「普通じゃない」ことに憧れている。その憧れは、もうこの年齢では資質のようになっている。

 どんな資質かと言うと、普通じゃないことに憧れる視点が身に付いてしまっているのだ。それは自分が普通ではないということではなく、普通の態度や普通の事象に対してナメてしまうということだ。でも、社会的には普通である方が大事だし、そうやって生きているすべての人が正しいわけだが。

 そんな風に普通とそれ以外を対比して生きてきたのだが、中年域に差し掛かる頃から「普通なんてない」という気持ちが芽生えてきた。突き詰めてみると、みんな変だ。いや、変なところがあるというべきか。そういう他人の偏執狂的なこだわりを見つけるのが好きだ。普通の僕にも持てる視点だ。

 だから、僕は他人の変なところウォッチャーとして密かに活動している。まあ、他人と関わることが自動的にその活動になってしまうだけなのだが、そうやって見つけたポイントは必ずしも当人のお気に入りなわけではない。僕が良いと思って指摘しても、本人には何ら刺さらないことの方が多い。

 ある女の子の髪型がカート・コバーン(コベイン?)に似ていたので、好きなのかと思って伝えたら全然関係なかった。むしろ、現状の髪型が気に入ってないのに指摘されて不機嫌になってしまった。確かに女性の髪型をロックスターとはいえ男に例えるのは良くない。そんな凡ミスばかりである。

 で、冒頭の凡庸だと思っていたヤツの件だ。それはつまり、いくら掘っても気になるポイントが見えない人のことをそう評してしまう。それは僕の興味の問題で、自己主張の強い人のことは無視してしまう。そうやって眼中から外していた人間の本質が意外と優しかったりするとホロっとするのだ。

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独自な視点などなくて、見る角度のバリエーションを全部試すしかないのだ。