毒の沼地に足取られ
僕はむかしから、仲のいい人に対して言えないことがある状態を保てなかった。あの件を持ち出すと変な空気になるよな、と思うと、その人との関係性に不自由が生まれる気がする。できればなんでも話せた方が自然だ。そういう状態にするためには、多少言いにくい話でもタブー化させないのだ。
酒場の仲間でもっとも親しいと思っている同世代の男がいる。彼とは何でも言い合える仲だと思っていたのだが、最近ちょっと言いにくい部分を見つけてしまい、それでも関係をキープオンするために黙っていようと思っていた。でも、冒頭に述べた通り僕は黙っている状態を保てない性質なのだ。
酔いに任せてその点について話したら、なんとなく僕が説教するようなトーンになってしまった。その日のことは後日詫びたが、変な傷になっていないことを願う。もし傷になっていたとしたら、その傷についてもタブー化させないように話すから嫌われるだろう。そう、僕は究極に口が軽いのだ。
ある秘密を「墓場まで持っていく」という表現があるが、本当に意固地に話さないと決めてる人を見ると不自由を感じてしまう。僕は何故か執拗に自由を大事にしている。それも、知り合いとの関係性においての、相互の自由だ。お互いに地雷のない、クリーンで開けっぴろげな関係を求めている。
これは、おそらく僕のエゴである。話したくないことがあるなら、話さなくていいのだ。ただ、僕は話せないことを持ち込みたくない。話さないことを勿体つけていると感じてしまうのだ。だから、変な期待が高まる前にサクッと話してしまう。そんな性格なので、誰も僕には秘密を打ち明けない。
それでいいと思う。変にオフレコだという他人の諸事情を聞かされても、それは噂話のゴミ箱になるようなものだ。僕の口は話すためにあり、僕の耳は聞くためにあるのだ。でも、タブーなしの開けっぴろげな関係が楽だと言っているのって、なんとなく大人として足りない感じがある。てか浅い。