熱き男のマイナーチェンジ

 ゼロからものを考え出すことを「ゼロイチ」などと言うのを耳する。芸人さんでネタを考える方の人のことをそう言う場合が多い。まあ、厳密に言えば漫才やコントを創造したわけではないので、ネタを考えている人もゼロからではない。しかも養成所出身の芸人さんならば講師に習っているのだ。

 とはいえ、ものを考えてひねり出した時に「生まれた」実感があるからゼロイチと思うのだろう。この辺は「卵が先か鶏が先か」的なループ問答になりそうなのだが、ゼロがイチになる以前から自分はいるじゃないかと思ってしまう。生きてきた日々がインプットの連続で、脳内に蓄積されている。

 創造の世界では、しばしインスパイアと盗用の境目が曖昧になることがある。限られた表現手法の中で、さまざまなバリエーションを駆使して見せ方を変えても独自性をキープするのは困難なのだろう。僕は、第一印象で「良い」と思った創作物なら、多少の盗作疑惑を感じても見過ごしてしまう。

 話は変わるが、圧倒的なオリジナリティを持つバンドが「偉大なるマンネリズム」と、敬意とも揶揄とも取れる言葉を冠されることがある。最初に世に出た時の音楽性をほとんど変えることなく、ずっと演じ続けているのだ。その代表格というか、この言葉と同義とも思えるのがAC/DCだろう。

 僕はAC/DCがマンネリだとは思わない。ある時期のアルバムが一聴して判別できないことはあるが、それは聴いた頻度の問題だ。やはり名盤とされる「バック・イン・ブラック」と「悪魔の招待状」などは何度も聴いたので、明確に曲ごとの違いが分かる。個人的な青春のサウンドトラックだ。

 評論家的には、アルバムごとに同じ感想を記すことになるので、いっそマンネリだと断言した方が楽なのかもしれない。ずっと人気のあるラーメンの名店と同じで、変わらないことにも意味があるのだ。しかも、飽きられないように小さな変化は加えられている。変わらないために変えているのだ。

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大好きな酒場のカルボナーラが食べられなくなったのは、僕が変わったから。