コンセントレーション鉄道

 長時間電車に乗ると、だいたい何処かで席が空くので座る。僕は電車の中で立っていると腰が痛くなるので、なるべく座れるように座席を見まわしている。多くの人が慎み深いので、席が空いても即座に座ろうと焦る人はあまりいない。だから、どう見ても座る気マンマンの僕に譲ってくれるのだ。

 特に電車が混んでいると、僕のように周りとサイズが合わない人間は邪魔だ。僕が座った方が電車の最大積載人数も増えると思うし、立っている乗客のバランスも向上するような気がする。混雑時の車内では、力を抜いた方が疲れないし、自然に位置が決まる。その位置が僕の場合だけ決まらない。

 とにかく、いろんな理由をつけているが、僕は電車内では座りたいタイプだ。サイズ的に邪魔なので優先席に座らせて欲しいところだが、よっぽどガラガラの車内でない限りは優先席には座らない。でも、混雑時には優先席の近くで立つことが多い。経験上、あの辺りがイチバン空いているからだ。

 昨日も、埼玉の端っこから東京の川崎寄りのエリアまで電車で向かった。長時間の移動なので、当然ながら途中で座った。往復で2時間半ほどの電車移動は疲れる。尻の皮が剥けることもある。昨日は尻は無事だったが、長時間座っていたことによるコリが残った。ほぐすために酒場に立ち寄った。

 このルートでの移動は、毎月1回ある。昨今の自粛生活で電車移動が激減しているので、この月イチのロングトレインだけが僕の鉄道プレイになっている。電車の楽しみは読書と音楽鑑賞だ。お気に入りのプレイリストを聴きながらの読書と言いたいが、実は本を読んでいる時は音楽は聴いてない。

 いや、音は流れているのだが、活字に集中している時は聴こえてこないのだ。逆に音楽が聴こえてきて、そっちに意識が向いたら活字は読まない。傍目からは両方同時にやっているように見えるかもしれないが、実際は片方はポーズでもう片方の行為に専念している。だから、両方とも必要なのだ。

ちなみに昨日の電車内で読んでいたのは、「筒美京平の記憶」という増刊だ。