冬ハンドメイドギフト

 昔から手作りのプレゼントは敬遠される。後に残る上に、センスが問われるものは難易度が高い。最近では手紙でさえ送るのが怖い。ここ数年は年賀状を出すようにしているが、その図案を自分でデザインしているので反響は聞かないことにしている。自己満足なので、大いにスベッているだろう。

 作る方は情熱があって、その有り余るエネルギーに支えられているから贈れるのだろう。なんの保証にもならないが、一応は「情熱」という根拠がある。こんな熱い気持ちは届けないと、カタチにしないと勿体ないという感じだろうか。勘違いの片思いだが、往往にして表現とはそんなもんだろう。

 自分で作るものに限らず、人に贈るものでカタチに残るものは考えた方がいい。アクセサリーが有り難がられるのは嵩張らないからだと思うが、小さいので紛失するリスクが高そうだ。だから、そのような小物をプレゼントした人は、あとでその相手が身につけているかなんて確認してはいけない。

 でも、せっかく人に何かを贈るのなら喜んでもらいたい。簡単なのは、欲しいものを事前にリサーチすることだ。とは言え、女性に欲しいモノを聞いても、気のない相手に一番欲しいものを教えてくれるはずがない。せいぜいが質屋直行のリセール価値の高いブランド品をねだられるくらいだろう。

 逆転の発想とまでは言わないが、ふと思い立って「これはあの人に似合いそうだ」とか「あの場にこれがあれば良いな」と思うものを勝手に買って渡しちゃうというのが買い物としても気持ちいい。捨てるような気持ちでプレゼントして、後にそれがどうなろうと知ったことじゃない。それで良い。

 僕はマメさのない男なので、人へのプレゼントを剥き身で渡してしまうことがある。もしくは店頭で頼む簡易包装だ。それじゃ芸がない。包みにも工夫した方が渡される方も気持ちがいい。そのひと手間は気持ちの強さだと思うので、僕はつい「重いかな」なんて考えるのだが、重くても良いのだ。

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この中から珍しいカタチの石ころを探して君に贈るよ。汚いから要らん。