セレブレイション・デイ

 人の年齢なんて、その人間が生きた日数を約365日で割った数字にすぎない。その数字が大きいから強いわけでも、偉いわけでもない。ただ、その数字が増えるに従って劣化する。その劣化に対して「準備した方が良いよ」と、若い人に忠告することはできる。たぶん、それは余計なお世話だが。

 僕も昨日、数字をひとつ重ねた。自分の余命は分からないが、恐らく折り返し地点は超えていると思う。100年生きる時代と言われているが、それは3万6500日生きるということだ。浅草ほおずき市の功徳である4万6千日に迫る数字だ。だからどうした? ちょっと言ってみただけとです。

 ちなみに僕が生まれてから過ごした日数をザッと数えてみたが、だいたい1万7千日をちょっと超えたくらいだ。生きているだけで1日1万円もらえる社会なら、いま1億7千万円ほど頂いている。こういう発想は、ダメ人間特有の傾向かもしれない。いかに働かずに収入を得るかを考えてしまう。

 このような数字を並べると、僕は誕生日というものに対して非常に客観的な立場で冷静に見ているように思われるかもしれない。そう思わせたくて数字を引用した。でも、理系の素養が著しく欠落した僕は、数字ほど冷静ではない。大人として冷静に見られたいだけで、気持ちは多少浮ついている。

 そんな浮ついた気分をクールダウンさせるために、昨日も酒場に顔を出した。社会の動向を鑑みると、酒場に行くことは推奨されないかもしれない。でも、いつも最低限の対策を施して出かけてしまう。ソーシャルディスタンス酒場で飲んでいると、店の人や知り合いから中年の誕生日を祝われる。

 本当に、子供の頃の誕生日のように、いろんな人からプレゼントをもらった。その場でビールを振舞われたりもした。やられたら倍返しと人は言うので、この祝いに対しては祝いで返さなければいけない。そう言う持ちつ持たれつの関係が増えて来たのは楽しい。これが億劫に感じたら隠居しよう。

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ビール、焼酎、薔薇、缶バッチ、梨。みんなの気持ち、プライスレス。